一昨日の夕刻、狛江から来られたN氏と初めての対面。
元々静岡県人で縁あってその地に生活の場を移されているそうでした。
その日は別件相良のお寺で法事があり、帰宅前に立ち寄ったということだそうで私の携帯に直接電話がありました。
たまたまその時、大した理由もなく別の場所にいましたので20分ほどお待ちいただき合流しました。
当家のルーツと元は同じを感じ取っての来訪、少しの時間でしたが、楽しく会話が進みました。
別れ際に狛江からと聞いていましたので、これからの帰宅は大変・・・ということと、私も学生時代に喜多見(小田急線の狛江の隣)に住んでいたことを懐かしがって話すと、では学校はという件になりました。
知る人ぞ知る・・・小さな学校ですからその名を示すと「それなら住職の後輩です!!」と高ぶった声で。
驚きましたね。何たる奇遇でしょう。
学生数が少ない学校で静岡県内でそこの卒業生と遭遇することはまずないと思っていましたので。
ちなみに彼は静岡高校出身とのこと。
今は無き当時のレストランやら麻雀店、今はマンションとなったテニスコートの名称が飛び出て感激しました。
再会を期し別れましたが藤枝・相良に縁者がいてちょくちょくこの辺りにも来られているそう。
そして昨日は甲府からのお客さんが。
母親が3人の子供達を連れて来られたのですが数日前に電話があってちょっとしたお話を。
「いずれ伺いま~す―いつでもお気軽にど~ぞ」といった感じで電話を切ったのでしたが、まさかこんなに早く登場されるとは。
「子供達も楽しみにしていました」とあまりにも光栄なことを、仰る。よって本堂でしばしの時間を。
拙寺とはまったく関係がないわけではないご一家(本家筋は相良に)ですが、今一番お母さんが思うことは子供の教育の件なのでした。
教師に毎度怒られまくっている・・・のようなことをお母さんが。
「それなら私とおんなじ」「息子もおんなじ」・・・みんなおなじ。中には大人しくて怒らることとは縁のない子もいますが、それと比較すること全く非ず。
「個性ですね・・・」でした。
今、教師は大変です。
自分の時間というものが無いのとたくさんの生徒を観なくてはならないというプレッシャーがあって、余裕というものがなくなって「カリカリする・・・」。よって「むしろ先生に同情してあげれば ?・・・」と。可哀想な仕事をされている・・・
最後に「けせらせら」・・・なるようにしかならない・・・山あり谷あり痛みいろいろは自分で感じて・・・「感謝しながら、楽しみながら おまかせしよう・・・」です。
受験勉強の苦難は今の時期だけ気合を入れろということ。
先祖に仏に「試されてる・・・」と考えましょう・・・。
海の近くに来たのですから、おいしいものを食べて帰ってね・・・また来てね・・・と別れました。
またも「聞く」ではなく「おしゃべり」にウェイトが行ってしまいました。「猛省せよ!!オレ」。
画像は先般歩いた真宗本廟(東本願寺)御影堂へ繋がる回廊に掛けられた掲示板。
「本当に自分を知るには
やはり人という鏡が なくてはならない」
聞く機会があることは格別です。
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