宇陀大野寺 桜まつりの終わり頃 おまかせ でまかせ

5月3日からの連休後半、5日ころまでのお天気は最高との予想。昨日、あまりの好天に恵まれた法事のあと「それにしても良かったですね」と施主さんに振ると「ごめんなさ~い」と。

「こんな日に法事を入れた・・・」と皮肉を言われたとでも思われたのでしょうね。

 

いやいやまったく・・・そんなことはないない・・・法要後テレビをつけると一昨日滞留した小田原の様子が映し出されていました。超絶の人混みで私もこれまであのような様を見たことがないくらい。くわばらくわばら。

イベントが開催されていたようですが、基本そういうものの見物の場には足を踏み入れないというのが心情ですからその一日のズレに安堵しました。何という仕合せでしょう。

 

知らなかったとはいえもし遭遇していたら・・・地団太モノ、己の軽率を呪うでしょうね。

私の希望は今度またどちらかの好天に恵まれた日に人のいない場所(墓・寺・城)をただブラつくだけです。

 

昨日の法縁後のご挨拶では、人間とは「同じで違う」また「違っていてまた同じ・・・」。

人は皆同じ(四苦八苦ほか・・・)でありながら性質ほか違うことだらけ。そして当流宗旨キャンペーンは「違っていて それでいい」です。

同一も異質も人それぞれ色々あってヨシ。

自分の「思い込み」によって他者を評価し排除しようとする心が生まれるのもその異質を心底承認できないからですね。

それが国同士でエスカレートする戦争でした。

 

まぁそれを歎異抄から良法借りれば「業報にさしまかせ」 (13条)でしょうか。

拙ブログで私が結構に記させていただいている「おまかせ」の (強調の)「さし」付きの件。

まかせるのは阿弥陀さんですので私は「計らない」。

最近口癖のように言うようになった「どうでもイイ」の他者が聞けば投げやりに聞こえる言葉がありますが要はそれ「他力」の真髄。

まかせてあるからどうでもいい・・・のですが、それでいてその通りの完全「おまかせ」とは程遠い大矛盾の私があります。

奥方の指摘によればただの「でまかせ」の類と。

 

扨、既にサクラのシーズンは終わってしまいましたが宇陀大野寺のシダレです(場所はこちら)。

宇陀のサクラといえば数年前にやはり奥方と訪れた又兵衛桜(こちらも)がありました。

 

案外バスで来られる方がいて驚かされましたね。

昨日も小田原駅発の元箱根行きのバスの大混雑について記しましたが耐え切れない苦痛になる場合あるかと。時間調整もそう。

私は車載のナビに入力すればどちにらでも連れて行ってもらえるお気軽もあって車は手放せません。

今やどうやってバスに乗っていいのか・・・わかりませんし。

 

その車を私から奪うという動きは息子と奥方からボチボチ出てきていますがそれこそ地獄行き。