聚楽第の碑→名和長年討死地は一条天皇里内裏 一条院

「相良は寿司屋難民になっちゃった」との弁。

あるご門徒さんの嘆きを聞きました。

相良でも古い料理屋、乃庄さんの閉店に続いて大栄館の閉店が続けざまにあったからです。

双方とも色々と事情が重なったということでしょうが、いつもその豪勢な味にお世話になっていた私どもの放言としてもその言葉にはここ相良住民の想いが伝わっているかと。

 

先日は大栄館の板前さんと立ち話しましたが、「それにしても

最近は市場に行っても魚がない」とのこと。

各閉店の事情以前に「魚」の不在はお話になりませんね。

 

気候がオカシイから・・・とはいいますが輸入食材は高騰、生活の困難さがクローズアップされつつあって、日本人の食の基本、漁業の衰退となればいよいよ危機的状況に陥るのでは。

人も居なくなり、残った人が生活できないとなるとやはりこの地は廃墟になってしまうのか・・・

 

扨、昨日の名和長年の戦死地と指定されている公園には一条天皇の「里内裏」の掲示があります。

一条天皇の御所跡でもあったわけすね。紫式部の言う内裏とはこちらのことのよう。

 

一条天皇といえばネコ好きで有名。

私は今節大河ドラマは一切視聴していませんが、それ(ネコ)以外は私の趣向と異にするからです。

 

①画像は昨日の①画像の逆。

奥に聚楽第石標のある交差点が見えます。

京都は遺跡遺構伝承が交錯する場。

どちらを掘っても調査の手が入るわけですね。