苔と土と森に同化 消えていく墓石たち 初瀬墓地

朝方の庫裏内の気温は19℃。

20℃割れはシャツ一枚はきついものがあります。

しかし外はスカ晴れ。

トレーナーを脱ぎ軽トラに伐採道具を積んで静波の墓地へ向かいました。今回はガッツリ外周植栽(カイズカ)をやっつけようという算段です。

 

取りあえず挨拶代わり。

様子窺い感覚でチェーンソーを枝払いにと振り回しましたがスグにチェーンが脱落。最初に小枝払いに使ってのこと。大枝をぶった伐るつもりでしたが。

久々の出動であったこと修繕用小道具を持参して来なかった凡ミスが重なって以降作業は手作業。

 

よってまともな仕事とはなりませんでした。

来週は雨続きの予報があり、これではいつ仕上がるのか・・・まぁ勝手にしやがれの心境。

半日分の処理費は710円でした。

これから地頭方に何往復して処理代がどれくらい嵩むのか・・・

 

扨、先日は本山両堂で念入りに手を合わせたと記しましたが、その「念入り」とは、やはりそのような真摯な気持ちになったからということ。

その真摯なる語は大抵の場合、最近はその真摯とは程遠い真逆の人間がこぞって使いたがる言葉となった感がありますが、どちらかというとその語には私どもの反省にも似たやりきれない回顧があったからでした。

 

最近はお気楽気分のノー天気、阿呆丸出しの如く生き生かされている私があったわけですが、その報せは膝が崩れるほどに歩みが止まり、絶句させられました。

息子からの連絡。

「N君が亡くなった」というのです。

N君は息子より年下ですが仲良くしてもらっていて2018年の夏休みの終わり、彼は1週間ばかり拙寺に逗留して息子が色々な場所を案内、私どもも焼き肉屋で一緒に夕食をとるなどしていました。学校では彼の友達の中では一番に付き合いが深かったと。

拙ブログにも記していますが、土蔵の掃除を手伝ってもらった彼です。

 

昨日は「天職」などいう語を記しましたが、彼もまた真宗大谷派の教師資格があります。

ただし次男ということ。兄は既に住職として寺に入り、別のお寺でその道のいろいろについて学んでいたといいますが、それは拙寺の息子と同様です。

 

しかしN君はスグに、おそらく一般的に言うその4、5月の頃だと思いますが寺の仕事を辞めてしまったといいます。

そしてそれから、某携帯電話会社の店の店長として働いていたことなど息子から聞いていました。

息子の「ショック」は手に取るようにわかりました。

私どもはその報を奈良で聞き、本山での「念入り」となったわけですが、私どもが帰宅後も幾たびかの息子の溜息と「何故・・・」という言葉を耳にしました。

息子の後悔は最近連絡を取り合っていなかったということ。

「まさかの坂」を転がる思いをさせられました。

「若いのに・・・」奥方と私も溜息。

 

詳細については不明ということで納骨が済んだら皆でお参りに行くと。

車で向かうのはやめて欲しい。

彼の地は東北地方の「上の方」だといいますから。

 

画像は、その思いがあったからか奥方も付き合ってくれた長谷寺奥の初瀬墓地。

日頃「墓と城はムリ」とのことですからね。

 

昨日は人は亡くなれば、誰も忘れられていく・・・ようなことを記しましたが、遺物としての墓石もこの山では時間とともに自然と同化していきます。

中には土の中から顔を僅かに出しているようなものも①。

判読不明ですが何か記されていました。

読みたい気持ちもありますが、ご挨拶して別れました。

これら画像の中、②の姿が首を傾げているように見えて思わず

にっこりと反応。

 

一つ一つの墓石たちはその人の人生を表しているようですが、みんな同じように朽ちていきます。

その人生がどうであったにしろ、みな亡くなってかつ同様の朽ち果てる様がここにありました。

また若き人の墓標が目に留まればついつい立ち止まってしまうのはいつものこと。

私は南無阿弥陀仏としか口称できませんが。

 

しかし・・・しかし・・・独りで結論を出さないで・・・。

選択肢はまだまだたくさんあります。