清水山城 東屋敷下 地蔵山石仏群 

激しい風が一日中吹きまくっていました。

境内には早い時間からお参りの方たちが・・・3時過ぎまではひっきりなしに。

私は風が強いのと「寒い」・・・を理由に予定していた雑務いろいろをすべて中止にしてボケボケ弛んだ一日を過ごしました。

それでも来週土曜日にある史跡調査会様の資料を少々まとめることができましたが。

あるかないかはわからないにしろ、「ブラ田沼」のコースに拙寺が設定された場合、その案内人として先般当調査会に入会したお二人が指名されています。

今一度そのお客さんへの説明とその段取りについてです。

 

それにしても、本堂内に上がっていただいての説明が中心となりますので法事があればそれはムリ。

何しろ早いうちに予定を決めていただきたいものです。

特に土日祭日の件、お寺では法事で本堂を使用しますからね。

 

扨、昨日の清水山城、あの大きな獣除けのフェンスを開けて歩を進めば地蔵谷・地蔵山の掲示板が。

少々の階段を上がれば画像の如く石仏たちのお出迎え(場所はこちら)をいただけます。

その記述の通り清水山城の城域は西屋敷と東屋敷なる主たる削平地に分けられますがその東屋敷の端にあたるのが地蔵山。

比叡山が近いだけにこの辺りには無数の天台寺院が存在し、ここ辺りでよく言われるのが「高島七カ寺」。

山岳寺院はとかく地区有力土豪の帰依もあって手を加えられて城塞化されることがあります。

この城もかつては清水(せいすい)寺という寺があったといいます。各説あってはっきりしませんが他に「松蓋(しょうがい)寺・長宝(法)寺・世喜(せき)寺・大山(たいさん)寺・大谷寺・酒波(さなみ)寺・米井(よない)寺の名があがります。

 

松蓋(しょうがい)寺は近くの上寺田中城(こちら こちら こちら)に登場しますし、長法寺も殆ど城郭の躰でした。

 

堀底大手にあった石仏もそうですが、この城にはまだまだ石仏が隠れているのでしょう。