お日さまが恋しくなる日々が続きます。
気温的にはさほどの低下はなく寒さを苦に感じることはありませんが曇天の暗さと雨混じりが続くのは私だけでなく愛すべき植物たちの成長にとっても気がかりです。
まぁあの連中は結構したたかに生きますから・・・
心配すべきは・・・私そのものなのでしょう。
天気不安定なこの時期、乾燥しているワケがないのですが全国的に火事が多いような。
日々各地で火災による悲劇の報が伝わっています。
私が思うにこの相良という地は火災延焼の悲劇を味わっている歴史がある割にそれへの警戒感は薄いような。
街区の消火器や消火栓とホースの設置が少ないですね。
ちなみに御前崎の街中を走っているとあの赤い箱(消火器)が
結構に目立ちますし時に消火栓+ホース収納の提示も見られます。
ところが拙寺周辺にその赤い箱は見かけません。消火栓の埋設箇所はあっても(たまたま私が知っている)ジョイントするスタンドとホースは近くにありません。
これで初期消火にどう対応すればいいのでしょうかね。
テーマは119が到着するまでの「その時間」なのですから。
扨、息子の京都時代は全部で3カ所の居所を変えていますが昨日記した黒門通の地は2回目の場所。すべての引っ越しに私が関わっています。私の学生時代とは大違い。
3回のうち私としては一番行動しやすい場所でした。
たった1度だけ息子の部屋に泊まったことがありましたが、それがあの熊本地震が発生したあの日でした。
彼の住処は3階の隅で、真下の八百屋さんの先に昨日の石碑が見下ろせる部屋でしたが、この地震の報を得て、次に彼の部屋を訪れた際にザイルと軍手セットを届けました。
3階ならばハーネスは不要と判断、軍手で下降できるかと。階下の手摺に足が掛かりますので。
有難くも一度も使用されることなく、ザイルは今、私の車に積んでいます。尚、彼はその八百屋さんのご主人にお世話になっていたようでした。
彼のその住まいの名称は「西陣」の名が付いていましたがそちらから旧聚楽第方向に武家屋敷跡からの歴史いろいろを体感できます。
歩けば新しい発見が次々と。
地名で言えば昨日の弾正町に続き飛弾殿町、そして如水町。
蒲生氏郷(飛騨守)の屋敷跡。如水町は勿論黒田如水。
④の奥の看板からこの辺りを「聚楽」と大きいくくりがあることがわかります。
③のバケツは消火バケツ。「念には念」それが京都です。
相良の地以上に火災・災禍にヤラれていますからね。
最後の3つの画像が、「黒門通中立売上ル飛騨殿町」なる地名 黒の威風の主張を感じる御菓子司「塩芳軒」です。
天正の印がある「聚楽」なる菓子がありますが私が行く時はいつも閉店中。
息子にはそういうものを私どもに購入して・・・などの気配りはまったくなし。
まぁ「今」を彼なりに満喫してくれればそれでヨシ・・・
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