聚楽第石標と 弾正町石標の記憶 

来年催されるであろう各イベント対応として相良史跡研究会の活動が進行しています。

現状小澤会長が進めているかつての相良の酒「陣太鼓」の復活の件、将に実現しそう。

お土産としてサイズ、一升瓶はまぁいいとして、お気軽さを強調するため小さいタイプをバンバン販売していただきたいものです。

相良の酒屋さん3軒に声を掛けその運営も了解済み。

アルコールの販売は素人が手を出せませんから。その3店のうち拙寺ご門徒さんが2軒。

境内に楽市をたて出店していただければまた有難い。

 

 

そして以前、市が主導的に運営していた「ブラ田沼」という実地史跡案内の件、史跡調査会で一部お手伝いするということを検討しています。

まぁどのように来訪者をコントロールされるのかなど難テーマまたぞろですが、案内をするにしろコース選定のうえ、各伝承地とその解説をしていきますが、先般私は新規にその「伝○○の地」的標識を設置をしたい・・・など提案したところでした。

それがあるかないかでは説得力今一つになってしまいます。

 

「ホントかよ」との指摘が出るにしろここは一気に「えいやぁ」という具合にそれをやっていくべきとの主張を。

まぁ地権者の承諾が第一義ですが、それをどういうカタチでやるかというのも課題。

私は予算を戴いて「石標を立てる」提案をしたつもりでしたが、立て看板だけでイイとの意見がありました。それは安あがり・・・

どうあったとしてもいいのですが私のイメージとは違っていました。

まごまごしていたらあっという間に時間が過ぎてしまいます。

月一のミーティングでは収拾がつかないかと。

 

扨、私の石標のイメージはコレです。

オシャレなプレートは不要ですがせめてこれくらいの物(この半分くらいでもいい)を想定していました。

石屋さんに依頼すれば工賃込みで10万円程度かかりそうで本数にもよりますが予算オーバーでしょうね。

聞くところによれば市は1億2000万円の予算をたてているようですからその辺りの気配りをしていただきたいものです。

史跡調査会に少しばかり工面していただけないものでしょうかね。案内人はボランティアなのですから。

 

画像は息子が京都在住の際、彼の住処の目と鼻の先にあった石柱標識です。

昨晩、NHK「秀次事件」を視聴しましたが彼の地(またはこちら)千田嘉博が聚楽第石標脇に登場していました。

中立売通の左に職安、右に聚楽第の標識を見て右折し彼の住む建物に向かいましたが、その番組を見てそういえば・・・と思いこちらの画像をアップしました。

何せ幾度もこの地を訪れています。

要は聚楽第のごく近く、かつては付随する武家屋敷が林立する場所だったわけで、息子が羨ましく感じられたものでした。

この地が弾正町となります。

 

尚、この石標の背後にあるさぞかし高級そうな建物に息子が住んでいたワケではありません。

その名を記せば黒門通の「シルクメゾン弾正町」良き名前です。

「シルク」はこの地が西陣と呼ばれ染色に関わる地であることとと「弾正」は町名ですがそれは上杉景勝の屋敷址から。

彼の官途名が「弾正少弼」でした(場所はこちら)。

 

相良には高坂弾正の屋敷址の伝承があります。

そちらにも標を建てたいものです。