一昨晩23時からのETV特集「膨張と忘却」~未公開資料が明かす日本原子力政策の内幕~吉岡文書(吉岡斉氏による内部資料)を視聴したことを昨日記しましたが、よ~く考えてみるとNHKさんの放送時間、ちょっと遅すぎやしませんか?
報道機関の使命として「事実を基にした番組をつくる」ことは有難く思いますが、その時間帯って・・・。
国民の殆どは寝ている時間ですよ。
これも上層部の政治的忖度・・・? そう思ってしまいます。
尚、その番組の再放送は3/6(水)深夜24時[7(木)午前0時]とまたも深夜。あたかも「あまり視聴して欲しくない」を示しているような・・・
私は保存しておくべきスクープ報道とみました。
吉岡氏の意志を継承するためにも皆さんに知っていただきたいものです。是非予約録画を・・・きっとその内容に腹が立ってきますよ・・・
扨、当流の著名な古典「歎異抄」は誤解を招きやすく一筋縄ではいかないような内容が山積み、解釈することも難しく、理解に慎重を要すべきであると教わってきましたが、私の最近はその4条の慈悲をテーマにした段を持ち出して人間の「限界」について話すことが多くなっています。
そしてその冒頭の「聖道門(自力)と浄土門(他力)」を対比させた、自力=聖道の「聖」の文字と親鸞聖人の「聖」との意味の違いについて説明しなくてはますますの混乱それに拍車をかけます。
どちらの段階で御開祖に「聖人」が付けられたのか私は知りませんが、そもそもその「聖」とは「衆生とともに」「一所に留まることなく」「時に流浪する」乞食坊主的意味合いがありました。
方やエライ、素晴らしい、超越した、スバラシイ的な「聖」がその聖道門の聖であってこの4条はイキナリ、スンナリ受け入れていただけないところなのです。
そして「しかれども おもふがごとく たすけとぐること
きはめてありがたし」という前段の結が導かれるのですが、ややもすればこの「ありがたし」も大いにチンプンカンプンにさせる箇所。
ここはブロク既出の通り現在使用されることが多くなった「すこぶるありがたい」的感謝の意ではなく、「まったく 無理(有ることが難しい)」の方ですね。
その「聖」スゴイ!! の方ですが、昨日記した信玄堤。「そちらといえば」の如くその代名詞的な物にも使われています。
それが「聖牛」という人工の簡易堰のような代物。
私は三脚を単管パイプで組んで重量物荷揚げに使用することがありますが、この「聖牛」は変則的な三角錐状に組んだ材の底部の棚に石を詰め込んだ蛇篭を置いて安定させるというもので、これを川底に設置し、他の構造物と合わせて川の流れを制御させたといいます。
富士川源流、釜無川の氾濫を抑制するために武田信玄が設置したといいますが、それに似た設備を各札付きの河川に設けているところを見るとその効果は絶大だったのでしょうね。
家康も安倍川で同様の工事(薩摩土手)をしていました。
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