朝は「寒い!!」などといつもの如くの口癖がでましたが日が高くなるにつれて車の運転中には居眠りが出そうになるほど温かくなりました。
私はあっちこっちとバタバタと。
帰宅すると、史跡調査会の小澤会長から印刷物が届いていました。
現在、調査会では来年の大河ドラマ用に目玉となる商品の開発を私どもなりに考察していますが、会長の一押しはかつて相良にあった酒造の銘柄「陣太鼓」の復活です。
それは大沢の般若寺に実存する陣太鼓からの名ですが今その名を表す品といえばお菓子の最中をイメージする方が大多数なのではないでしょうか。
私は不調法なりともお酒についてまったく興味がない類ではありません(酒は飲まないがその場の雰囲気が好み)し、かつての相良の名物の復活は大いに期待したいところです。
会長が示した書面はその「陣太鼓」の山本敬三氏についての件がつづられたものでした。
今は「高天神」でお馴染みの土井酒造がその名の権利を持っているとのことで、その再販について検討しているようです。
物販ができないと客さんを集めても相良におカネを落してもらえませんからね。
相良の有志の方々、どのような品々を用意してくれるのか楽しみでもあります。
扨、昨日記した浅草、源空寺の墓域。
門を入ってスグ左側に新し目の墓石と顕彰碑があります。
その先の左側に高橋至時や伊能忠敬の墓が並んでいます。
その墓が高橋景保の墓になります。
高橋至時の長男、弟は渋川景佑で天文学者一家。
源空寺墓域のこの列には「大日本沿海輿地全図」に関わった人々がズラッと並んでいるわけですね。
彼の新し目の墓碑というのは当初亡くなった際に墓石建立が憚られたからと云われています。
それが彼が1828年のシーボルト事件によって収監、獄中死したあげくに「斬首」されたということでいわゆる罪人として取り扱われたということ。
今考えるとその事件については当時の幕府の政策があったにしろ相当なるバカバカしさを感じます。
真面目にやっている学者もちょっとした感覚の違いから犯罪者の烙印を押されてしまうのですからね。
その墓地の最奥には何故か金色に輝く阿弥陀如来坐像が。
この手の形態は見かけた事がありませんでしたから新鮮に感じました。
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