そしてまたずっと雨。それでいてまた寒い。
昨日は法務もなく一日中庫裏に籠りっきりでした。
外出する人の気が知れない・・・と呟いた通り、来客の一人もありませんしやはり境内に人影は見られませんでした。
毎度お好みNHKBSの西部劇。「たくましき男たち」を視聴しつつぼんやりと過ごしました。
私が生まれるよりも前、1955年の映画で先日記したロバート・ライアンそしてクラーク・ゲーブルも。
南北戦争後というと大抵が南軍崩れが悪役というイメージで固まっていましたがこの頃のストーリーは案外そうでもないことを知りました。もっともお話の中での悪役はスー族と今でいうネイティブアメリカン。
一昔前の西部劇は彼らを恐怖の権化、忌み嫌うべき野蛮人として描いていました。私の子供の頃の西部劇ごっこでは「頭の皮を剥ぐ」(元はインディアンではなく白人の所業)などの台詞があったことを思いだします。
ただしインディアン役になる子は皆無でしたね。
わが国でも南北朝時代以降、南朝方=負け組、陽の目は見られないという雰囲気がありました。
「南」はハズレ籤で統制の取れない悪役、インディアンは凶暴で怖い・・・のイメージはそののち作られた西部劇から得たもので双方とも今も引きずる人種差別の問題を深く抱えていたのでした。
そのスー族(特に「悪いインディアン」)とアメリカ政府、白人世界との関係で言うとスー族の鉄槌を受け、死したカスター将軍の名が出てきます。
当時はカスター将軍こそがヒーローの中のヒーローとして囃された軍人で彼の死以降インディアン憎しの風潮が吹きまくったのでしたが、そもそもスー族はじめネイティブ各族はカスターがかつてやってきたインディアンへの無差別虐殺、今でいうホロコーストへの根強い恨みがあったこともあります。
カスターの自らの数的不利を咀嚼せずに攻撃を仕掛けたという無謀な軍略的ミスもあったわけですが・・・
その無謀なインディアン駆逐作戦を進めて死んだカスターは今や逆に悪役となった風があり、以前の如くのカスター哀惜を語る西部劇はありません。
差別の先鋒と成り下がったわけですが、その彼にも何故にして無謀な攻略を強行したかを、含めてその理由をバックに糸をひく「本当の悪役」(政府上層部)がいたはず・・・という説もあるようです。
その説、私にはわかりませんが、人間とは結構に煽てにのりやすく、上への忖度も図るもの。踊らされるのが常なのですから。
扨、先日の史跡調査会の会合で、2025年の大河ドラマでの田沼失脚の件、やはり悪役は後ろで糸をひいている徳川治済で落ち着くのだろうとの言がありました。
最近はNHK番組「大奥」流行りですからね。庶民はそれで落ち着くかもしれませんが・・・
私はその番組をまともに視た事はありません、というか男女逆転の配役とストーリーに「ワケわからん状態」になるからですがその原作者の談をチラっと目にしました。
「治済はほとんど史料がなかったこともあり『何の志もない ただただ恐ろしい人』にしてみました。
退屈だからと人を殺しちゃう、そこには理屈はないんです。」を読んで、やはり劇は劇、おはなしはおはなし・・・イメージによる創作ね・・・ということで了承。
しかし一度作られ流布されたイメージは拭い難い固定を生みます。とくにその番組を視聴していた方には・・・
聞きかじった話ですが「松平定信と田沼意次の和解を演出」といった趣旨のイベントもありうるそうですが、そうなると本当の悪役となるのはやはり・・・
ここで徳川治済の性質を示唆できる件、ブログで記したものを。
といった感じですが「大奥」の作者の言う『何の志もない
ただただ恐ろしい人』の感じは微塵もありません。
あれだけ後世「すばらしい政治家」と囃された小島蕉園を代官として荒んだ相良の地に抜擢、善政を行わせたこともそうですが、好き嫌い激しく、悪辣を嫌う小島蕉園が「大公」と敬っている様、その手の事はまったく無評価なのでした。
因みに蕉園が徳川治済への贈り物が例のアレ「馬鮫魚(鰆)菰塩」でした。
それをブログに記した頃は私も悪役は彼というのがその感覚でしたが・・・。
いずれにしろ徳川治済黒幕というのが既定路線なのでしょうね。
①画像は国税庁のポスター。
先般某寺院に税務署の方が現れ各ご指摘を受けたとのことでした。
しかし私ども末端の田舎寺にやって来られたとしても成果は得られないでしょうね。
何せ節税を心がけるとはいうものの、その税の対象となる「入り」に限界がありますからね。節税=脱税とはいいますが・・・
今節、庶民隈なくプレッシャーをかけるのもいいのですがこのポスターは国会議事堂(悪の権化?)に貼るべきと世間の人々は言い囃している様子。その方が国の為になりそうですが。
②は治済の図。
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