横浜の「奥の墓道」氏にアメリカの西部開拓時代、独立記念日、南北戦争のネタそれぞれの蘊蓄を披露しつつ遊んでいましたが私が「2月13日は何の日か」などのクイズを出しました。
さすがにそれを即答できる人はそうはいないでしょう。
この日は「銀行強盗の日」ですね。
その次日など「知ったこっちゃあない」ですが。
私が「今日それをやればシャレが効いている・・・」などと。
また政治屋も強盗のようなものですから。
彼らは年がら年中ですからね。ケチな強盗事件が社会に散見されますがそういう連中をターゲットにすれば・・・如何にも面白い。不謹慎失礼・・・。
「銀行強盗の日」は牧師の子であるジェシー・ジェイムズが1866年2月13日に銀行強盗をした日でそれが世界で初めてだったということ。銀行強盗の始まり・・・
昨日2024年の2月13日は気温高めながら昼間は冷たい風が強めに。世の中は平穏の感。少なからず私の周囲は・・・。
境内水屋前の垂れ梅に接して参道側に盆栽の小桜を地植えにしたのが息子が横浜の寺に就職が決まった6年ほど前。
横浜への引っ越しに向かう途中、富士川S.A.の植木市で購入しましたが昨年の今頃は1.5mに満たないくらい。昨年中はどんどん成長して現在2m超えにまで。
それが参道側に張り出してきますのでその押さえにする竹材を山へ伐りに向かいました。
久々その藪に入りましたが、案外不法投棄は無く安心しました。
どなたか竹を伐って不要材を突っ込んでいる様子は窺えましたが・・・
その他境内雑用をテキトーに終わらせて夜間はのんびり撮りだめしていた映画鑑賞を。やはり西部劇でした。
すると20時近くに都内在住の檀家さんから「母親が危篤」との報せが。
相良在住の方ですが焼津の病院に搬送されて入院中とのことでした。
以前からその相談を受けていましたが「その時は出来る限り何とか手伝いたい」旨伝えていました。
まさか焼津にいらっしゃったとは・・・。
そしてその30分後に逝去の連絡がありました。
それが病院からは「22時頃までにお迎え」を・・・とのこと。
いつもの「さぁ、どうする・・・」(「スピード」のWhat Do You Do ?)。の状況に。結構好きですね、難題の提示。
まぁできないときは「ブン投げる」というのが私のやり方ですが。
その時、周囲を見回してもヘルプは奥方とネコたちしかいませんので奥方を軽トラの助手席に座らせ棺を荷台に載せて「東名高速をGo」と考えましたが奥方から大正生まれのお婆さんなら軽の助手席を倒せば乗ってもらえるとのアイディア。
何より棺に入いってしまえば後のことがカンタンではありますが桐材とはいえ棺自体の重量もありお婆さんとは言えども相当な重さになりますからね。2人ではさすがにきついものがあります。
よってご自宅の鍵を預かっていましたので布団一式を積み込んで軽乗用車で病院へ。
病院着到が2130でしたが、ここでの説明が少々ややこしかったことはありましたが病院側からお二人の手伝いがあり、うまいことお婆さんにはご乗車いただけました。
そのお二人は夜間の寒さの中、「我々3人」の乗った車に深々とお辞儀をして見送ってくれたのが印象的。
尚、案内されたナースステーションでの少々のややこしさとは私の素性を明かすことが却って現場の判断を混乱させること・・・
葬儀屋さん、搬送の業者さんではなくお寺の住職がお迎えに来たということですが(本来、それは整合性があるのかも・・・)よりによってこれまたお気楽な恰好、特に昨日は真っ赤なトレーナー着用で傍から見ればサンタクロースの如くだったかも。
黒衣を来ての訪問は論外ですが、あの状況でファッションの件を思考する余裕はありませんでしたからね。
問答の中で名刺を出してハッキリすることができましたが「こういう状況は初めて」と苦笑されていました。
22時30分すぎには本堂安置。焼香して読経。
35キロのお婆さんだったことが奥方との二人で対応が可能となったわけで。
扨、昨日の下山代官屋敷城。
ざっと曲輪らしきそこここを歩いて少々東、南側斜面の縁に大沼城松平の墓域があります。
宝篋印塔、五輪塔等の古仏たちが整列してお迎えしてくれます。
掲示板によれば大沼城三代松平近清の建立の二基のうち一基は松平親忠の供養塔、もう一基が父で二代城主の乗正の供養塔とのこと。
近くには「鈴木」を名のる墓域が。
この地区は鈴木姓は多いですからね。特に鈴木といえば足助の地もイメージします。
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小山昭治 (水曜日, 14 2月 2024 09:00)
いやはや、ご苦労様でした。きっと浄土でも手を合わせて御礼をしているでしょう。
そこで思い出しました。
以前PTAの講演を掛川病院へ頼みに行ったことがありました。その時同行したのが須々木のお寺の住職。袈裟のままで昼間の病院へ行きました。
確かに病院の待合室は違和感でいっぱいでした。
住職が「いいのかねー」と言いましたが、私が「制服で何が悪い」と一蹴。
赤のジャージよりは良かったか。
今井一光 (水曜日, 14 2月 2024 20:52)
ありがとうございます。
黒衣には少なからず「死」というイメージがどうしても付きまといますので、「いよいよ病を治して生きる」という方々が集まる場には、心を痛める方がいるかも知れません。
それともどなたかが危篤となって「成仏前に病床で経でもあげてくれ」といった奇特な人がいたものだ・・・などいう思いが頭をよぎったりしますね。
まぁ余計なことを考えさせてしまいます。
榛原病院に仏教会でどなたか詰めて、仏教的ケアを行えたら・・・など思考したことがありました。病院側の意趣もうかがっていませんし実現に至っていない私の勝手な思いです。
そういった場合は堂々と黒衣での対応ができると思いますが。
とにかく私は、どちらに行っても自分が動きたいということもあって、黒衣や草履の着用はいずれにしろ邪魔になりますね。