風も無く寒さはそう酷くもない一日。
よって掲示板建ての続きと本堂雨戸のちょっとした修繕を行いました。
拙寺累代墓碑の側面には相良代官小島蕉園の揮毫がありますのでその紹介を。
ちなみにその本文はこちらにもあります。
何せ小島蕉園は一言で善政の人ですが代官所が近かったこともあって拙寺九代の祐厳と通じるものがあったかその交流、遺っている史料は豊富です。
勝手なことをたびたび記ますが、大河ドラマに採用されたとしても不思議ではないと考えます。
次回の大河ドラマでは田沼意次が登場することは決定していますが、その田沼―松平時代といえば「文化」の大らかさと統制についてのギャップが表に出てくることと思いますがその時代といえば「狂歌」というものの登場が何らかのカタチで描かれるはず。当時の狂歌といえば真っ先に
「白河の 清きに魚も 棲みかねて
もとの濁りの 田沼恋しき」がありました。
その狂歌師(三大狂歌師)の一人、唐衣橘洲の息子が小島蕉園というところがミソ。橘洲のその番組への登場があれば小島蕉園を
引っ張ってきやすいのですが。
橘洲の名はこの掲示板には記していませんので、登場の兆候があれば差し替えることにしましょう。
⑤⑥画像は当流のオンライン勉強会。
「親鸞仏教 オンライン学舎」全51講義。充実しています。
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お祭り大好き (月曜日, 05 2月 2024 07:33)
墓碑が200年経過して文字の判読が困難になりつつあり、小島蕉園の案内板設置は有難いです。 次回参拝時に本堂床下の相良城木材活用の痕跡や成瀬鼎などの墓碑とともにあらためて確認させていただきます。 2/3土に小和田哲男さんの講演を聴講し「三方ヶ原の戦」で夏目広次・鈴木某が身代わりとになった旨の解説がありましたが、成瀬藤蔵正義の名前を聞けなかったのが残念です。 2/4日は椿原靖弘フェルケール博物館学芸部長の「清水湊と人」と聴講をつづけています。 相良湊がちょっぴり説明がありました。
今井一光 (月曜日, 05 2月 2024 20:52)
ありがとうございます。
いつものことながらお祭りさんの行動力、探求心には感服させられます。
市中はコロナにインフル花盛り、配慮しつつ楽しみましょう。