謎の大振り宝篋印塔残欠 それも上部 久延寺

寒い寒いと言ってそれを動かない理由としていましたが連休明けということでいつまでも引き籠っているわけにもいかず、各雑務にとりかかりました。

軽トラを運転していると陽光を浴びるためドカジャン着用の私は「暑い」を感じるほど。

年末年始に発生したゴミ類の搬出をするにあたり、懸案だった温水便座の処分の件チャレンジしましたが、スンナリ受け取ってくれました。

 

予め処分できる品について市のサイトを確認していましたがその温水便座については掲載がなかったためです。

まぁそれを自分で交換する人はそうはいないということか。

これはかねてから設置されていた本堂側のトイレのもの。劣化故障のため今回私が交換することになったということです。

業者に依頼すれば工賃+処理費がかかりますので奥方に背中を押されたこともありますがケチな性分の私がよろこんで工事に取り掛かったわけです。

 

尚、大型家電店等で新品を購入すれば大概は引き取り無料です。

そして設置は他の場所のものと2カ所。来週以降の完成予定。指定のブツを取り寄せ中です。一応必要なパーツ類は確保しているつもりですが・・・。

 

扨、九延寺の続き。

本堂の西側に三位良政と月小夜姫の新設された宝篋印塔の間に目が留まりました。

以前は周辺にも見あたりませんでした。それとも節穴か。

 

何故こちらにあるか不詳ですが珍しい風景です。

残存する宝篋印塔は損壊が甚だしく特に隅飾りから上部の相輪部分の欠損があったり相輪そのものが失われていることが多いものです。

特に大型の宝篋印塔で塔身以下基礎部分が逆に無いという例はあまり見かけません。

一見したところ南北朝以前のものとお見受けしますが、もし完全な形で、出所詳細が判明できたら文化財クラスのものかと。

全体像を思えばそれはそれは見事なものでしょう。

宝塔や基礎部分には何か手がかりがあるやも知れず、惜しいことです。

 

しかしどこから出てきたの?    単純な疑問。

同じ峠からの出土とすると・・・近くの鎧塚を連想。

「北条時行の一族の名越太郎邦時が今川頼国に討たれた」とありました。

 

墓石の大きい部材は土木工事に転用されることもあり、使い道がない相輪部分が投げ捨てられていたことが考えられます。

いや破損がないことからどなたかの家でその部分のみ大切に保管されていたか・・・

畔や水路に渡された石橋など古墳の石室・・・と思わせるようなものは各地に見えますからね。