一昨日ほどの寒さにはなりませんでしたが、まぁ敢えて言えば昨日の寒さは「二番目」か。
一昨日の極寒本堂の忍耐を強いたことから昨日は拙寺で2番目に大きいストーブを出しました。
最大の火力のあるストーブは婦人部から寄進いただいたものですが、稼働音が騒音に等しくて法要の空間としてあまり推奨できません。
出場させた大型ストーブはさすがに火力が大きくそれを中心に置けば何とかその時間を過ごせそうなカタチにはなります。
その他周囲には普通の石油ストーブを3~4配置しますが、その時間は「上着類はそのまま~」と脱がずでOKの件を伝えています。そうでなくてはその時間を過ごすことなどできません。
昨日は砂糖の高騰での我が家のドタバタを記しましたがこの灯油というものの価格上昇も閉口させられます。
また以前でしたらご門徒さんの店舗に依頼すれば簡単に配送されていましたから今はその購入に走らなければならないという労力が結構にストレスとなっています。
近隣よりも6円/ℓほど安く売る店を御前崎市内にあることを知りましたが現在検討しているところです。
ちょっとばかり遠いのがネックで果たしてメリットがあるかというところ。
購入に走るとなれば100ℓ以上求めることになりますのでそれだけでも600円。悩むところです。
そういうことからも暖冬は大歓迎なのですが、地球がぶっ壊れている現状、黙って耐える他はありません。
扨、昨日は近江八幡の馬渕の住蓮の首洗い池繋がりで長篠のそれを記したのでしたが、その住蓮の「池」のある馬渕周辺は拙寺初代今井権七が居た武佐からも近く、以前からぶらっと歩いていた場所です。
最近はまったくご無沙汰していますが、先日の滋賀県内の大雪の報を聞いて、改めてこの時期の近江行はムリだと思った次第。
何度か思わぬ降雪で慌てさせられた経験がありますので、もうこの齢ともなるとそんな無謀の中に身を置くこと憚られます。
まぁ初代(広済寺門徒)がこの遠江に逃れてきたのは信長の領下となり果てた武佐(近江安土)という地への諦めからですが今私どもが温暖な遠州の気候の下で生活できるのはそのおかげともいえるかも知れません。
その武佐よりほど近い場所にあるのが住蓮の「池」でしたがその周辺ではこれまで馬渕小学校脇の宝篋印塔等記していますがこの近辺には長光寺町に長福寺町とお寺の名を冠にした町名が残っています。
私は古い地域の名を残すということで良きことであると思いながら歩いたものです。
その時はその二つの町にまたがるようにしてある瓶割山のトップを目指していました。
日吉神社、不二の瀧とやらを横目にしながら森を進み近江の景色を楽しみました。
以前のブログの地図はおそらく古すぎて消えているのかと思いますので位置関係を再掲してみます。
この地区への再訪を望みますが、おそらくそれはもうできないかも知れません。他に行きたいところやりたいことがたくさんあります・・・
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