当家墓域 つまるところ私の居所 如衆水入海一味

 

年端もいかない子供たちが痛みや悲しみで絶叫悶絶する様ほど忌まわしい画像はありません。

私は特にそれ。映画であってもそういったシーンは心に残ります。

アラブの子供たち、北から南へと逃げ場がナイような追い込みをかけられているように感じますが、大型船を差し向けるなど「とりあえず日本に退避して」という具合にその命に手を差し伸べることができないのでしょうかね。この国は・・・

欧州はいっぱいいっぱいまでアフリカ人難民を受け入れていますから、日本は中東に近すぎず丁度イイ。

アメリカの顔を窺っていたら何もできませんよ。

イデオロギーを超えた単純なる人命尊重を。

 

異常ともいえるネタニヤフ+イスラエル。戦争を絶対に終息させようとせず、ここは一気にハマスを殲滅、それに伴うアラブ人の殺戮は許容されるというその彼らの「正義」とやら、これまで見たことが無いような無茶を見せつけられています。ガザを開墾して新たなユダヤ人入植をさせる・・・見え見え。

ちょっとやることが汚いのでは。

 

汚いといえばアベハのキックバック1000万円(5年間)の3人衆(昨日現在松野・世耕・高木の名)の件、特に官房長官殿は守りが固いということで「アルマジロ」と言われていたそうですが昨日は同じ言葉「精査し適切に対応していく」の繰り返し40回と。

スポークスマンたる内閣官房のオウム返し。

要は「返答できない」ということですからもはや機能不全に陥っています。

将棋で言えば「詰んでる」の躰。

歴史的な言葉を探せば「お腹召しませ」(浅田次郎)でしょうかね。場合によっては土壇場、三尺高い木の上・・・級。

責任の取り方はいろいろありますが。口を閉じやり過ごそうという魂胆はそれを無責任と。

今はもはや責任ある職とは言えなくなりましたが。

明治期以降、それが顕著になったような。

頭の中の支離滅裂的を記させていただけば個人的には長岡・会津・庄内藩の心意気がステキ。

薩摩は西郷の存在で何とか許容・・・しかしアレから出たアノ家系はね・・・その配下の者どもロクなもんじゃあ・・・

 

扨、昨日は当家の墓域の本格的清掃とチェック。

週明けに妹家族が墓参にやってくるということ、その際1件縁者の納骨があることでの事前調整ですが私の一番の確認したかったところは「私の居場所」です。

ここは私が全て関わって工作した墓域ですが、ここのところ「開けてみる」ことをしていませんのでまさにおっかなびっくりの久々ご対面。

 

これまで木製の板で蓋をしていたのでしたが、今回はそれを廃して30㎝×60㎝の御影石5枚を用意しました。

経年による劣化が見えましたのでいい頃合いでもあります。

ということで木の蓋をど~んとオープン。

 

まさに度肝を抜かされたとはあのことでした。

3基のコンクリート桝+蓋を設置してその上にブルーシートを敷いていましたが、そのシートと木の蓋の間に土砂と根っこがびっしり。

それがかなり堅く締まっていて除去するのに奥方と難渋させられました。

土砂は段ボール6箱分にもなりました。石材のガラまで入っていましたので「だれかやった?」。

木の蓋は気軽に開閉可能でしたから。

 

清掃し新しいブルーシートを敷き御影石を並べて仮置き。

納骨が終了以降セメントで目止め、仕上げようと思います。

尚、桝2基の中は土砂の流入はなく、空洞。多少の細い根の進入はありましたがこれで安堵させられました。

奥方と「どこにする?」。

妹家族の来訪に併せて息子もやってきますので納骨方法を伝授することにします。

これでいつでもこちらに入ることができるというものです。

ありがたし。

私で15代とはいうものの殆どのご先祖様の遺骨は既に「海」へ辿っている模様。~「如衆水入海一味(正信偈)」~

 

因みに②画像の墓塔が9代祐厳が200年前に改修したもの。

小島蕉園の記した文が光っています。

遺骨の納まっていた甕を庫裏に置いたのは私。

父の納骨の際、改修していました。