昨日は「親鸞さんの日」。
風強めにつき境内作業はヤメにして浜松の息子と合流、昼食を一緒することにしました。各法要について情報交換含めてです。
首都圏法要開催の法要時間制限と厳守について拙ブログにて何度か触れていますが、それはこの地の葬儀式場や火葬場の予約状況が比較的緩めというのに反して首都圏のそれらスケジュールはキチキチに詰まっているという違いに驚かされているということですが、そもそも感覚的にこの田舎と首都圏では各各そのやり方に違いがあるということです。ただ私どもはそれぞれのやり方に合わせるのみではありますが、その度にドギマギさせられることになります。
私などは当地の法要に時計を持ち込む習慣はありませんでしたが、首都圏では時間というものが徹底していますのでそのアイテムは必需になり最近はその装着は当たり前になりました。
前回も息子にその時間について問われましたが(私のピンチヒッター)私は聞いていないので「会場担当者に聞いてくれ」でした。
尚、首都圏では葬儀式は火葬場に併設されたホールで、それ以外の法要は霊園に併設されたホールというパターンが多し。
遠方のご門徒さんが拙寺本堂に集まるなど無理な話ですし。
よって土日ともなって法要が詰まっているとそのタイムキーピングには注意が必要になってきます。
その日の息子の法要の持ち時間は「30分」ということでしたからさすがに驚かされました。
その日は30分前から控室に入って後が詰まっていなかったようで60分は御一緒できたとのことでしたが、中にはこういうこともあった・・・と腹が立った話をしていました。
みっしり詰まっていたホールの時間、法要の終わりに「お話」で締めているとどちらかの僧侶がホール後方に現れてしきりに左手首の部分を右手人差し指で叩いていたといいます。
要は「時間だよ~」のアピール。
「腹が立ったので完無視して続けた」といいますからいい度胸をしています。終了後「すんませんねぇ~」とその方に会釈して帰ったそうですが、私なら・・・「申し訳ございません。只今、話が長いと散会を促すご指摘を次の法要の御導師様からいただきました。よってこれにて・・・」とでも一言言わなきゃ気が済まない、息子が若いということもあっての行為かとは思いますが息子の対応は天晴れだと褒めました。
その坊さん、5分10分で騒ぐなんて、きっとお忙しかったのでしょうね。
どうしてもそういったアピール「時間だよ」の心中には「終わりにしろ、この若造」の悪意がついつい籠っているように感じてしまう小者です。
その時は参列者もまた子供たちが多く焼香に時間を要したそうです。小さい子供の焼香は親が隣に付き添わないとできませんし、焼香を省略するワケにもいきませんのでどうしても時間がかかってしまいます。
阿弥陀経を違う偈に変更したとしても表白、正信偈、御文そして法話で30分の持ち時間はキツい。
まぁトーキョールール、割りって勤修するしかありません。
しかし他では「法話の時間はないの?」と単純に考えてしまいます。
田舎坊主ですみませんねぇ。
②今年の大晦日、除夕鐘のポスター。時計の針は進むばかり。
布施氏より製作いただいたものです。
今年は昨年より更に30分早めて10時開始になります。
そして15時には解散。
みなさん、早くお帰りになっての色々な支度がありますからね。
無事に安全に、それだけでヨシ。
③画像は午前の図④は日没頃の図。
メタセの葉は茶色に、イチョウは黄色が濃くなりました。
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