午前中は通りに面した木戸の修復作業を。
内側から強い力で開けようとしたためでしょう、戸のロック部分が破損したもので、腹が立ったためにこれまでずっと大き目の石をストッパーにしていました。
この「腹が立ったため」に修理未着手というのはあまりにも無意味なことですが、ずっと放ったらかしにしていました。
それは内側に居た者がその強い力~足や体全体の一気の力でもって~開けようとした結果ですが、この扉の作りを知っている者なら絶対にその手の開け方はしません。
要はかなり慌てていたこともまたわかるというものです。
これは夜間に侵入した部外者が私どもの夜警などに出くわした際に慌てて外に出ようとしたということです。
また風が吹くとその戸はパタンバタンと音を出してその異常を知らせてくれます。まぁ侵入者が去ったあとですが。
トーキョーでは強盗流行りで貴金属店などで「さすまた」を用意しているようですが、やはり夜警に丸腰というのはダメかも知れません。
当家にはさすまたはありませんが袖がらみや薙刀は常時ブラ下がっています。
しかしその手の長尺物は取り回しが悪く「実戦向き」とは言えませんね。
かといって脇差など真剣を持ち出したら過剰防衛、よって一番イイのは野球バットだといいますね。それならば取り回しがよろしい。
その野球バットと言えば最近、MLBなどの試合の解説者の口から出る「仕留める」という表現。
要はホームランを打って相手投手を沈めたり試合の大勢を決めたりする痛打を放つことを言いますが、考えてみればスゴイ表現です。
ストレートに「獲物を確実に殺す」ことですからね。
猪やクマなどの獣の狩猟の際にもよく聞く語ですが、スナイパー(射撃手・暗殺者)もそれを使います。
国内でも実際に素人スナイパーの手作り鉄砲とその玉で「仕留め」られた人がいましたが、野球を見ていてその語を聞くとついついそれを連想してしまいます。
扨、先日は設楽原の来迎松城について記しましたがその東に「火縄銃弾丸採集地」なる看板があります(場所はこちら)。
何も火縄銃の弾丸はこちらに限らず、現在の馬防柵前の連吾川周辺から東側の丘にかけて多く出土していますが、この地からは鉄の玉が出ているようですね。
玉の素材によってその勝敗は決まったというか推測できるようなもので、当然ながら鉛製以外の玉の使用は敗戦組を思うところ。
その知識を早々に得て、手配を怠りなく行って用意(タイ産?)、大規模な鉄砲戦に間に合わせた信長が勝利したところ頷けます。
信長連合軍の鉄砲玉が100%鉛製とは言い切れませんが、銅・鉄・素焼製の玉といえばやはり武田方が放ったものと推測します。
武田鉄砲隊の弾丸は鉛の不足からそれらの代替品を使用したようですが、確実に相手を仕留めるには鉛意外どちらも難しい素材だったようです。
特に銅の場合は、中国製悪銭を神社等から買い集めて溶解させて作ったといいますが、銅も鉄も製造にかなりの高温が必要ですし真円・バリ取り等の行程も硬い分、手間がかかりそう。
そして射程距離が短い集団戦の中、当たって弾ける鉛製弾丸は有意義だったよう。
火薬原料の硝酸カリウムも100%輸入品です。
堺を牛耳っていた信長が買い占めて他への流出を抑えれば武田方のそれらの保有量は高が知れていますね。
信長が堺、大坂を手中に収めるということは経済力と最新兵器を手に入れるためで、東に居た群雄とはその段階で勝負が決まっていたのかも知れません。
②は飯田線方向。踏切が見えます。
③~は設楽原歴史資料館より。
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