夜間には雨予報があり空は雲に覆われていましたが境内雑用いろいろ。
特にテラス2階に雨漏り箇所が再発しそちらの補修をチャレンジ。うまくいったか不明。
結局昨日までの雨の降りだしは24時前にポツポツ程度で。
午後は週末の本堂の法事用に念のためと灯油を購入に走りました。
冷え込んだら気の毒ですからね。
様子を見て石油ストーブを稼働するつもりですが、115円/ℓには溜息。
多くの品物やサービスの値上げラッシュは諦めとともに慣れというものが生じてきましたが、先日の叔母のお世話になっている施設からの請求書にも「やはりね」と奥方と顔を見合わせていました。
各値上げに関して福祉サービス分野へのそれは大いに許容すべきと考えますが、一番に悩むのが私ども自体の始末。
施設のお世話になるということは一言で言っておカネも頭が痛いですが今の如くの自由度はナシ。
要は私的に不自由、面白いとはいえそうもない時間におカネをかけること。無駄であるとは言いませんがね。
それはそれは親の介護こそ子の重大な(逃げることはできない)役目ということは承知していますが、その請求額を毎度見ていると気が引けてしまいます。
叔母は元気。「100まで生きる」と豪語しています。
となると単純計算でこれから1800万円。まぁ十分とはいえませんが一応は期待の年金はあります。
変調をきたして要介護度が上がれば特養に入所することができますからもっと支払いはラクになるはず。
しかしそれだと叔母の不健康、そして死を願っているようで・・・
叔母は子がいないということで成り行きで私どもがピンチヒッターとして介入していますが、その年金はやはり助けにはなっています。夫が軍人でしたからね。
世にはそれは「微々たるもの」という人もたくさんいらっしゃいます。介護する親族も共倒れになるという例(破綻の仕方は色々)をよく聞きますね。
私どももその「微々たるもの」のうちですから。
国民が生き続けることに難儀を感じさせるということは・・・まぁ「国が悪い」ということなのでしょうね。
扨、昨日の小川路城と川路(大坪)城は大久保兄弟の陣と同様連吾川の西岸の平地にありました。
その大久保隊の陣の対岸、東側は地区の小字端城。
勝楽寺前激戦地の平地の端にあります。
こちらも小川路城、設楽氏系の出城とみるべきか(場所はこちら)。
②画像は勝楽寺前激戦地の石標から連吾川方向を望んだところ。
左前方に小さく標識が見えます。さらに左、木々がこんもりした場所が巴神社。いずれにしろ当時も連吾川付近の平地は低湿地帯。武田の騎馬隊の苦難が想像できます。
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