朝の寒さは前日より緩んで案外と許容範囲。
風がないというのが何よりでした。
道中着簡衣は夏用の薄っぺらいものから冬用に衣替え。
私は奥方の差し出すそれを「まだ、いいよ」と一旦は断ったものの「季節感なし みっともない」と吐き捨てられて「そんなものか」と着替えて法要に出向きました。
先日、叔父との会話でパーキンソン病の話題があがりました。
65歳以上では1/100という結構な高確率で発症する病ですね。医師もその病には手を焼くという難病ですが、私もご門徒さんからその病についての情報をかつて受けたことがあります。
肢体不自由が年を追って迫る不安のもと日々過ごすわけで、その病気とのおつきあいは何とかその進行を遅らせて健常状態を維持させることが主眼になるようです。
そして叔父の知り合いがその病とのことでいろいろとその病談義になっています。
特に先日の話ではその方は「今便秘症状で困っている」と。
結論は「脳と腸は連携しているから・・・」の持論を展開していました。
逆に言うと「脳の健全を保つにはまず腸から」ということか。
脳の具合をどうこう図るのは「血管ケア」以外は考えられなかったところですが(痴呆症等手立てナシ・・・)、「腸」にポイントがあってそのケアによって、脳の具合が維持できるとすればありがたし。
私は学生時代から神宮球場通いをしていましたが横浜在住時代はヤクルト戦のチケットの御鉢が廻ることを期してその会社の品の宅配を依頼していました。
以来この齢までそれを続けているわけでその「腸の健康」=「脳の健康」の図式がまんざら嘘でなければしめたものです。
さて、どうなるでしょう・・・
しかし冷えてくると冷蔵庫にそれが溜まりだして苦痛に変わる。
扨、昨日の川路の大久保兄弟布陣跡ですが、この辺りの川路の地は当地国人設楽氏の主たる地盤。
特に小川路城は連吾川と大宮川の合流地点(その後豊川へ)で城館を設けるには絶妙の場所でしょうね(場所はこちら)。
設楽氏の「設楽」は最近になって「長篠の戦い」→「長篠・設楽ヶ原の戦い」とその名称が変遷するに至って急きょ歴史の表舞台に出たような感がありますが、設楽氏といえば平安・鎌倉期よりその名が見えて室町期には足利氏被官、足利将軍側近の番衆という歴とした名門家。
家康が台頭した頃も経緯はいろいろあったようですがうまく立ち回り、概して繁盛した家系かと。
近くには川路(大坪)城なる城館址もあり、設楽氏分流かスケールの大きな城塞を思量するところです。
その近くには石仏等が見受けられました。
草むらを分け入ればまだまだ見つかることでしょうが。
⑧の一石五輪塔は室町期の匂いがしますが、馬頭観音系は江戸期の民間信仰の遺物です。
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