報恩講の片づけ等雑多用事があったため早いうちに小和田先生の勝間田小学校の講演会は諦めていました。
当初は何とかなるだろうの、お気楽でいましたが。
「さぁ、外仕事にかかろううか・・・」というその時に急なる法縁が飛び込んで、どちらにしろそのノー天気は消え失せてしまいました。
帰宅後は報恩講寺楽市で使用したやきいものドラム缶がキレイに片づけられていてそれは大助かり。ありがたし。
ちなみにそのドラム缶は高熱。1日は置いて冷やさないと片づけはムリ。毎度私が「様子を見てボチボチ」やると心得ていましたから。
なかなか面倒な代物です。中には小型ですが段ボール2個分ほどの石が並べられていてそれを拾い集め最下段の灰を集めて梅の木の根元へ(毎度そんな感じ)。またドラム缶はそれなりの重さがありますからね。次回使用する時までどちらに置いておこうか・・・それも課題です。
扨、親鸞さんは一般的に「親鸞聖人」と呼ばれています。
私どもは「御開祖」「ごかいさん」「しんらんさん」と親しみ深い言葉で呼ばれることが多いですね。
しかし親鸞さん自身が「聖人」なる語で讃えられているなど知るはずもなく。
ご当人はおそらくその件、今知れば戸惑うかも?
「聖」の意味ですが、普通に見れば「聖人君子」の如く人格・振舞い・思想・・・その他すべてにおいて「優れた人」のイメージで、まずは後世になってからその人の歩みを評価してその文字を記すことがあるのか・・・と承知しています。
その文字をバラしてみると「壬(王)の上に耳と口」。
この「耳と口」がポイントなのでしょうね。
まず「耳」で以って良く聞き、膝を交えて「話す」こと。
結局はその二つのことに特に優れている人というイメージがありますがそれだからこそ「聖」なる人と。
ただしこの「聖」の意は結構に広い解釈が。
やはり一般的なそれは「素晴らしい、優れた」の意ではありますが、それが「どういう方向で・・・また立場で」それがあったかが問題。
親鸞さんの時代といえば浄土系の「乞食坊主」(司馬遼太郎)のことを「聖」(ひじり)と呼んでいたりしましたがそれは庶民レベルからの目でしょうね。
一般的にエライ高僧も一定の場所留まらず庶民の中に入って慈悲と救済の法を説く「聖ひじり」も同じ文字をあてるからややこしい。
歎異抄四章に「慈悲に聖道・浄土のかはりめあり」とある通り、自力門の道を「聖道」とその「聖」の字をあて浄土門との対比に使用しています。
ハッキリ言って「聖道」には限界があるということですから。
一見して「耳と口」だけの自力のはからいではなく(それには「目で見る」ことの欠落もありますが)阿弥陀仏(絶対他力)の念仏こそが慈悲(仏教のテーマ)への近道であるとテキトーに考えます。
「聞いて視てそしてお話する」ことは一大事。
表記は前進座特別講演。
①②「花こぶし」パンフレット表裏。
~親鸞聖人と恵信尼さま~のサブタイトルが付いています。
③は「聞法会」のご案内。
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