相良御殿を推慮する史料 相良史跡調査会パンフ

27日に静岡市内で開催される?講演会「静岡の城」?について定員1200人のところ既に満員オーバーになって、数日前に参加を断念せざるを得なくなったという話を聞きました。

案外盛況で驚かされます。

私はどちらにしろパスでしたが・・・

そういった会はこれからも催されるでしょうし、往々にして同じようなお話になるでしょうから、そう気合を入れる必要はありませんね。

静岡市歴史博物館では企画展「駿府城と徳川家康」があります。

特別講演会「 “皇帝”家康の駿府城 」は28日。定員500名だそう。

結局私のスケジュールと合わなくてはどうにもなりませんね。

 

扨、史跡調査会会長の小澤氏より「パンフが完成したよ~」と。

ここのところ忙しく動き回ておられたようですが、それに精力的に力を入れていたということです。

 

それが表記、家康の相良御殿が描かれている図であろうと推測される絵図になります。

駿河国駿府城南西に舟遊びのできる堀で廻らされた御殿ということになりますがその「南西」方向という点で、消去法的に思量して「相良」というところで落ち着いたのです。

気になることは国境。厳密に大井川以西は遠江ですからね。

狩野探幽の作ということですがどちらにしろこういう図は聞き書きイメージ図。

そして相良御殿を駿州としたとしてもまた大雑把な感覚としてそう違和感はありません。

尚、原図は日光東照宮から。

パンフは近々の文化祭イベントにて配布されるとのこと。

 

小澤氏は家康と接している坊さんは大澤寺の・・・と煽てていましたが、当家は一向宗の乞食坊主の身。

まぁ成瀬藤蔵正義の息、傳助改め祐傳ならば呼ばれることに不思議はありませんが。

どちらにしろイメージ図として登場しているに違いありませんから、そう想像を膨らませても・・・

まぁ参考までに。