昨日は午前の法要ののち庫裏の隙間風対策を少々。
朝から冷え込んで、この時間の有り方に改めて驚かされる始末。
先日まで本堂でフル回転していた扇風機を慌てて片づけながら一瞬「ストーブ」の語を口に出したほどでした。
世にいう「夏からイキナリ冬」という感じ。
そして午後3時からは世話人会。報恩講の触れです。
その開催については毎度土曜日でしたが今回のそれは日曜日にしてみました。
「土曜か日曜か」の件で頭の中が統一されていなかったことから次節の「春の法要」前の世話人会の日の曜日を間違えていました。
ご指摘を受け、平謝りでしたが、春は春で再度召集のお願いをしますので、「ま、いいか」の躰。次回は注意しなくてはなりません。
ただし、誤りを幾度も重ねるのが私のお頭の軽さで、それもいつものことですからね。
おバカ住職でご門徒様は大変です。
そんなことでそろそろ引退か・・・の気持ちも芽生えたところで、息子の近況についてここで触れさせていただきました。
まぁ「うまいことやってます」ということをお知らせしたのでしたが、この日は世話人会ということでたまたま入った通夜に対応できなくなったために息子に向かわせました。
その流れで葬儀も執り行うことになっていますが、それは未だかつてない初めてのことでした。
これでいつでもバトンタッチができるという運びとなったのですが私どもとしては至極目出度いこと。
これでいつ、どうくたばったとしても「OK OK」。後は野となれ~とは言いませんがね、すべておまかせということで。
扨、少々古めの古文書。
古めと言っても江戸初期。延宝二甲寅1674年です。
どちらかでも記していますが拙寺の「大澤寺」は元の名を「本楽寺」を名のっていました。
この年に「大澤寺」と改めた旨、本山に承認を得たわけです。
常如さんは東本願寺第十五代法主で寛永十八(1641)年~ 元禄七(1694)年の人。
大澤寺敬祐は拙寺四世。横須賀長圓寺から拙寺に入り婿した人。この2年後に亡くなっています。
粟津右近は名のある東本願寺の坊官。
私は断然「本楽寺」名の方がいいのですが。
それは「楽」こそが阿弥陀如来をイメージ(「至心信楽-ししんしんぎょう」)させるからです(これも私の勝手な思い)。
相良大沢という地名に拘らなければならない理由が別にあったということですね。
一筆令啓候然者
其方寺号望之旨
及言上候処大沢寺と
被成 御免許候条
向後可被得其意候
右之寺号者此度
脇ゟかまい有間敷
斯望上候
常如様御裏書ニ
可被遊下候間左様
可被相心得仍
為其如此ニ候謹言
粟津右近
三月廿七日
榛原郡相良
大沢寺敬祐
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がつお (月曜日, 23 10月 2023 09:23)
画像3枚目最後の行ですが蓮如様に見えるのですがいかがでしょうか
右之寺号は今度
斯望節
蓮如様御裏書に
可被遊下候間左様
今井一光 (月曜日, 23 10月 2023 12:20)
ありがとうございます。
蓮如に見えますね。
しかし時代が合わないことから常如さんにしましたが・・・再検討の余地あります。