坊さんの行動について(それなりに)「責任を持ちなさい」とはよく言われてきたこと。
私などはその手の言を聞くと甚だ耳が痛いところですが、特に葬儀直後の坊さんの生き生きした行動力は仇になるようです。
葬儀後の厳かさといつもの軽さのギャップは、周囲には相当なる違和感を抱かせてそれにまつわる風説が拡散するようです。
勿論尾ひれが付きますので爆笑ネタにもなりますね。
私にそういった件を話される方がおられるということは「お前は確りしろ」のお達しであると受け取りますが中には「スゴイ」と呟きたくなるお寺さんもいらっしゃいます。
「豪快!!」と感心したくなりますが・・・葬儀後に控室で私服に着替えて即パチンコ屋に向かうという方に、デタラメで至極適当を思わせる葬儀進行ののちカラオケ店で友人たちと待ち合わせていた等々を聞かされましたがお話の主語は「あの坊主は~」です。
そういった時、私の心当たりいろいろについて思うワケですが風説の内容として坊さんの酒と女とバクチの悪癖ばかり。それは戒めるべき煩悩の数々、特に笑いを取れるということでしょうね。
それにしても会場を出た後の坊さんについて、よくもまぁその手の衝撃シーンに出くわすよ・・・と眉に唾したくもなりますが、偶然もあるかも知れませんが「面白れぇから尾行してやれ」との思いが涌きたつのかも。
カラオケ店のシーンは山梨県内でのことだったようですが、その時は「つい一言言わせてもらった」と・・・怖すぎる・・・
坊さんがカラオケ店に行って歌ってはイケないということではありませんが「(待ち合わせの時間に合わせようと)葬儀をさっさと切り上げたい気持ちが見え見えだった」というところに腹が立ったよう。
読経と法要内容を熟知している方だったとあってその「いい加減」が手に取るように分かったといいます。
しかし、法要で長時間声出ししたあとスグに「歌会・連歌会」(カラオケ)とはかなりの強者です。お姉ちゃんを侍らかしているかは別として。
尚、私には葬儀会場往来に私服を選択する度胸はありません。
髪のボサボサと衣のしわ、そして全体醸し出す見すぼらしさには無頓着ですが。
息子にはとにかく「一所懸命が相手さまに伝わるようやりたいものだ」と。
扨、画像は成瀬大域が明治天皇から下賜された「楠公手沢の硯」です。
成瀬家が掛川市二の丸美術館に寄進したもので、私は未だその現物を見た事がありません。
今年の五月だったでしょうか、その二の丸美術館の学芸員さんがお二人、牧之原市史料館学芸員の長谷川氏に連れられて拙寺に来訪されました。
私は皆さんの帰り際、その硯について「画像を送ってちょうだい」とお願い、この度、精密なそれを拝見することができました。
②画像は硯のウラですね。
例によって叔父の解
囿萬崴成則為
松青風静也
奉
軍神
建武二年八月日
正成
「囿」と「崴」の字からあの千早城を連想するところ。
その山城での長期に渡る籠城戦。「松青風静」とはかなりの余
裕を感じます。
日本史上籠城方対攻城方の大きい戦闘の初見ともいえる戦いでかつ、攻め手側の惨敗死屍累々という結果は特筆モノ。
脚色、あることないことと思われる記述の太平記には強烈浅はかな無駄死、攻め手の間抜けさ加減の描写は酷いものでした。
しかし、まぁこの楠木正成が使っていた硯の件、少々ギモンが残ります。
①「奉」の意味からしてそれはどなたかが後世記したもの?
②自身の硯だとしても自分で「軍神」とか記す?
③最後の崩し署名が「正成」とすると特に・・・
首を傾げるところです。
天皇家に伝わっていたということですが、どういった経緯でそれが存在するのか、それも不思議なことです。
名物にしろ刀剣にしろ「数奇な因果」というものはつきものですからね。余計な雑念は棄てましょう。
時代背景と伝承経緯からしていずれは文化財指定になっても不思議がないところ。
二の丸美術館ご担当者さま お忙しい折、私の無理な要望におこたえいただき有難うございました。
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酒井とも (土曜日, 21 10月 2023 11:48)
こんにちは。
この硯が成瀬大域翁の號の「賜硯堂」になるのですか?
今井一光 (土曜日, 21 10月 2023 12:47)
ありがとうございます。
仰る通りですね。
酒井とも (土曜日, 21 10月 2023 18:52)
こんばんは。
本当に禁裏からの恩賜硯があるのですね。
窓越しで良いので、一度拝見したい硯ですね。
ありがとうございました。
今井一光 (土曜日, 21 10月 2023 18:57)
ありがとうございます。
最近では日坂の川坂屋で展示したそうですが通常は二の丸美術館の「倉庫の中」の様です。