本多忠朝五輪塔 天王寺一心寺 酒封じ

将来のビール消費量が激減するという記事を見ました。

人口減少もそうですが若者のアルコール離れの傾向、そしてかつて酒豪で鳴らした方々がご老体になって控え気味になり飲酒量を減らしている様。

60歳を超えたあたりから如実に減る様。

齢を重ねれば各種病気に罹りますので、医師や家族からはまず禁酒を勧められるでしょうし、命は永らえたいものです。

 

民放テレビの流れるままに、ぼーっとしていればビール系のCMが多く、その繁栄ぶりが手に取るようにわかりますが、実は我が国のアルコール市場なるものは1996年をピークに下り坂といいます。

それだけにポイントとなるのは若者受けする役者を使い若い連中の迎合、アル中に仕立てるという計略があるということでしょうね。

 

しかし現実は厳しいかもしれません。

何しろ若者は「酔うこと」よりも他の遊びいろいろの選択肢から楽しみを採用、そしてかつて大量消費を牽引した「男」の消費量が著しく減っているそう。

まぁ、アルコール飲料というとリスクコントロールという意味からも敬遠しがちになるのでしょうね。

健康ブームも絶大ですが最近は無防備でぐでんぐてんの千鳥足の躰は街で見なくなったような。

あれだけ見ず知らずの通行人に因縁をつけながら闊歩していたら「いつかはヤラれる」ことになるでしょうし。

 

酒の失敗もさまざま。

「酒さえ飲まなかったら」の家族・親しき者からの残念の声を聞かされたものです。

それはまぁ一言で言えば「人は自分の心はわかりにくい、心のコントロールがしにくい」からですね。

それで「後の祭り」ということが往々に。

 

扨、昨日に続いて天王寺。

一心寺(または)ついてはかつて記していますがそちらにはいかにもいかにもという巨大な五輪塔がありました(こちら)。

本多忠朝の五輪塔です。

前本多出雲守藤原朝臣忠朝 三光院殿岸譽良玄居士 

                  元和元乙卯年五月七日

 

こちらのお寺は由緒もさることながらスケールも圧倒。

シャレたおカネがかかっていそうな看板は樹脂製パネルのカバーがあって被写体には不適。

よってそのものズバリをサイト上から転記させていただきました。

 

酒封じ祈願 本多出雲守忠朝の墓

「本多出雲守忠朝は徳川四天王の一人と言われた本多忠勝の第二子で、関ヶ原の合戦に武功をあげ、大多喜五万石に封ぜられていたが、酒を過したため、大坂夏の陣(1615)において戦没した。死に臨んで深く酒癖を悔い、将来酒のために身を誤るものを助けんと誓って瞑目したと伝えられる。

爾来、酒封じの神として酒に苦しむ当人や家族の多数参拝するところとなり、酒弊の除滅に信を得ている。

墓碑周辺の杓文字は参拝者による酒封じ祈願である。

墓碑は元和二年(1616)に建立されたものである。」

 

掛けられた杓文字の量からして酒に悩んでいる人は多いのですね。忠朝は深酒がたたって夏の陣で「やらかした」よう。

家康に叱責され、悔しさ、汚名をそそごうと冬の陣で遮二無二、前へ前へとばかりに出たのでしょう。

 

反省する「気づき」は大切です。しかし、我が身を顧みずに杓文字を彼の墓の廻りに納めることで心を改め封じることができるなどあるはずもなく。

自分の、私の、問題ですからね。まぁお遊びの類。

 

他の五輪塔九基も忠朝家臣。

忠朝とともに天王寺の激戦にて戦死したといいます。

小野勘解由塔・青山五左衛門塔・加藤忠左衛門塔・大屋作左衛門塔・山崎半右衛門塔・中根権兵衛塔・石川半彌塔・臼杵七兵衛塔・大原長五郎塔がご一緒しているとのこと。

本多といえば中根はつきものということで。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    お祭り大好き (水曜日, 04 10月 2023 00:14)

    本多忠朝は酒では失敗していますが、大多喜城主時代の慶長14(1609)年には、スペイン船が難破時に救助を指揮して、徳川家康への洋時計献上に繋がっています。 大多喜城近くには、比較的に新しいですが本多忠勝夫妻と忠朝の分骨墓地が祀られています。 大多喜城お城まつりには、毎年メキシコ大使館の大使または公使が参列し挨拶しますが、スペインは何故か来訪しません。 牧之原市より人口は少ないですが、手造り甲冑を着用した子供・大人が多数武者行列に参加して活力のある祭りとなっています。 県知事・国会議員の出席も良好でした。 ただし、コロナ禍の影響は未確認です。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 04 10月 2023 06:34)

    ありがとうございます。
    本多のネームバリューは町おこしにうってつけ、気風のイイ武統系の家ですから
    ファンは多いですね。
    相良は今、田沼と将棋に傾注していますから、その家系にスポットが当たることは今後ますます薄くなっていくのでしょう。
    お祭りさんの杞憂が察せられます。