9月30日に順延されていたイベント「さがら灯ろう流し」が開催されましたが暑い土曜日だったこともとあって参集されたお寺さんたちは殆どへろへろの様。
欠席されたお寺が2件、その他「声が出ない・・・」など無理をおして集まったことが窺われました。私も午前中だけでしたが法事はありましたし本来でしたら息子が向かう予定でしたからね。
やはり雨天順延と行っても1.5月遅れの「お盆」イベントはその人々の集まり具合もよくなかったようにも感じました。
天気の事ですからどうこう言っても仕方がないこと、ツキも無かったのですが、お盆期間中に開催、順延したとしても「8/15」がリミットでしょうかね。
始まり時間も日没が早くなって真っ暗けでした。
その開催前に「今後どうする」という意味を兼ねて、「友引」の火葬場休業の件、曹洞宗と日蓮宗の住職を掴まえて伺ってみました。
私は首都圏の火葬場事情(友引休業ヤメル方向性)からして、やはりそれぞれの住民にとってベストな方策であると考えたわけですが、甘かったというか認識不足でした。
私の見解をさも正当であるが如く吹聴することはイケないことでした。
結論は
①私の考えとは違ってその六曜についてみなさん重用している
②友引=葬儀がナイということから各寺院の会合、イベントを
設定・計画がしやすい
③一部地域ではその「友引」に葬儀は勿論の事、通夜、法事です
ら嫌うので致し方ない
とのことでした。
先日も良時吉日の件、記しましたが我ら親鸞聖人の教えは御文の「一帖-九~物忌~」の通りで、特に私などそれについて「語呂合わせ」の、あんだらくさい因習程度にしか思っていませんでしたのでそれを聞かされて「へ~え・・・」と絶句、ひっくり返るほどに驚いたのでした。
六曜が民衆に流行り出したのは明治以降だろという思いもありましたし。
その御文では「自分が物忌をしないからといって他者の物忌する姿勢を傷つけず尊重すべし」という語を添えながら、その「物忌をしない」論拠を経典から引っ張って記しています。
その件「あきらかに諸経の文にもあまたみえたり~」です。
『まづ涅槃経にのたまはく「如来法中無有選択吉日良辰」といへり。この文のこころは「如来の法のなかに吉日良辰をえらぶことなし」となり。
また般舟経にのたまはく「優婆夷、聞是三昧欲学者 乃至 自帰命仏、帰命法、帰命比丘僧、不得事余道、不得拝於天、不得祠鬼神、不得視吉良日」以上 といへり。
この文のこころは「優婆夷この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、みづから仏に帰命し、法に帰命せよ、比丘僧に帰命せよ、余道に事ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ること得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」といへり。
かくのごとくの経文どもこれありといへども、この分を出すなり。ことに念仏行者はかれらに事ふべからざるやうにみえたり。よくよくこころうべし。あなかしこ、あなかしこ。』
です。
私などずっとその御文の通りアレを「あんだらくさい」因習と蹴り飛ばしていたことであっても他者は大切にしているということですね。
ただし③に関しては「どうぞ御自由に」のレベルですから友引に火葬場の営業を行うことに問題はありませんし①②も寺の問題。
ハッキリ言いましょう。友引に火葬場を休むことによって葬儀を先延べにすることが相当な不便に繋がっているということを。
猛暑の中、ご遺体を維持保存することは余計な経費が掛かります。
なにより遺体の痛みが早く、それは瞬時に崩壊が進んでしまうということ。
亡き親族との別れに時間を持つことは大切なことですが、亡き人の名誉を棄損することにもなりかねませんからね。
今首都圏では1週間待ちは当たり前、10日待ちの声まで。
10日ということになればまず2回はその「友引」が巡ってきますからね。
夏場のそれ、その現実は「人生滅多な事ではないこと」とはいえ切実なことだと思いますが。
画像は「女墓場放浪」より。
「八ヶ岳デビューと同時に(八ヶ岳)引退」とのタイトル。
コースタイム5時間45分のはずが「10時間かかった」とのことでした。
天狗岳は八ヶ岳入門の山とのそうで、その入門版がこの様ではいやはやもう無理だそう。膝痛があって難儀しているようで持参したサポーター(4290円)で対応したそうです。
そのサポーターがなかったら下山できなかったといいますが、それほど違うものなのか・・・。
また何しろその山とコースについてどうこう記されていても私にはチンプンカンプン。
ただ澄んだ美味そうな空気を感じた次第。ごちそうさまでした。お天気が羨ましいですね。
私も時として膝痛が出現しますので一つそのサポーターとやら所望しておこうか・・・
最後の画像は中秋の名月の翌日に同時に3つ咲いた月下美人。
咲く時は玄関に入れます。
数日は残りの香を楽しめます。
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