息子はこの3日間、浜松から神奈川ベース(義母の家)へ移動し、依頼された法事をこなしていますが、昨日の段階で「今週末もタノム」と声が掛かったそう。
一旦浜松に帰り、再びそちらに戻るそうですが、この調子で首都圏で仕事があるのなら浜松を退去した方がラクなのに・・・
まったく浜松・・・想定を見誤りましたね。
私は浜松か静岡かでその転居地について意見を問われたことがありましたが、それなら断然浜松と言う具合に背中を押したのでしたが。三河門徒の流れを期待しましたが・・・
昨日は子供が居ない「叔母さんの行く末」について相談を受けました。
私も同じような境遇の叔母の件、施設の入所から継続維持、診療付き添いなど、いろいろについて、また「その後」まで私どもが責任者として差配することになっていますが、その方も「医者に呼ばれた・・・」とのことで「もう、そろそろ・・・」を匂わされているよう。
そこで「そのとき」のことを問い合わせに来られたのでした。
一応他に親族があるそうで、それらと合議しての決定だそうですができるだけ負担が少ない方向を探るようです。
看取らなければならなくなった叔父叔母の親族を抱えている方、案外多いような。
以前の女性(専業主婦)はロクな年金も期待できないことが多く、長期療養によって貯蓄も少なし。
介護して看取るといってもかなりの負担があることは見過ごすことはできません。物凄く大変。
また、私の叔母が御厄介になっている施設から連絡があって「鰻を食べたがっているがどうする・・・?」と。
2~3週間前に連絡してくれればOKだそうです。
そんな先の予定は立てづらい・・・ということで保留。
元気で他の入所者への面倒見がイイということで、たまには鰻でもつきあうか・・・といったところ。
えいやぁで「この日に!!」と決めればいいだけですが。
扨、龍安寺、仁和寺など雑踏と化す境内というのが私のイメージですが、昨日も記した通り私はその裏山(または)を歩きます。
そこまでは登らず龍安寺の裏側には細川勝元の宝篋印塔が立っていました。こちらも当然ながら丸に二つ引きが。
勝元が建てた龍安寺。墓があるのは当然といえば当然。
正面右から
①細川稙国 ②細川政元 ③細川勝元 (龍安寺殿)
④勝元正室 (春林寺殿)-山名宗全養女
⑤見桃院殿 不明
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