昨日記した浮かない「もやもや」の件、おかげさまで一瞬のうちに解決、暗い気持ちはスッと晴れ渡りました。
午前中、お彼岸前の一仕事、ため込んだ花ガラを地頭方の処理場に持ち込んだ帰り途、本通りの紙屋さんが「愚痴なら聞こう」と返信をいただいたため昼前ながら店に押しかけて言いたいことその思いを一通りしゃべりまくりました。
おかげです~っとして帰宅してしばらく、その件の当事者から電話があり、「予定通り」となったのでした。
処理場に行っている間は奥方に「電話番をタノム」という具合でしたが、日・月と昨午前までその連絡はありませんでした。
よってずっと暗い気持ちでいたわけですが、その内容とは1カ月を切った拙寺のバスツアーのある予定にダブルブッキングが判明したという報せがあったからです。
それはそのツアーに致命的なものでした。
これは相手があることですし、今はうまいこと処理していただいたことが窺われますので一件落着、満足に至る結果を戴いたことでその詳細を記すことは避けることにします。
何せ、その連絡の第一声が「申し訳ありませんが~」で、最悪その中止まで考慮するべき内容でした。
よってまさに尋常ではない心中の二日間でした。
旅費等は徴収済み、その他色々について予約等すべて「完成」済で、その中止など弁済費用(キャンセル料)もそうですが信用を失くしますからね。
何より、その言い訳について皆さんに一から報告して返金することも辛いことでそこまで考えたくらいでした。
一時は万事休すの心境にまで至っていましたのでその連絡を戴いたあとは安心・安堵・安楽の心地ですべての重荷を降ろせたところ。
「涙がちょちょ切れるほど嬉しい!!」とその担当者の善処に感謝しました。
私はサービス業に従事していたことがありますが、そのオーバーブッキングについて、怒っても「詮なき」こと、そしてそのミスについて「よくあること」と「俎板の鯉」を承知していますが、ここにきてまさか私が・・・と愕然とさせられたワケです。
私も「入念さ」のスタンスでもってそれら強く配慮していればこんなことにならなかったかも知れません。
これは皆さんにはその発狂しそうな件、ナイショにしなくてはパニックになるようなことだったのです。
今回その愚痴を一気に聞いていただくことが良好な方向に進む・・・こともある・・・ということを確認しました。偶然といえばそれでおしまいですが。
少なくとも喋り捲ることが如何にスカッとするか。
スカッとしたところに朗報が飛び込む・・・悪くない展開・・・。
ツキはまだありました。
扨、しかしながら私の「入念」はいつもながら軽いものがありますね。
それではまるで「無念」というものでしょうか。
世にいう「残念な生き物」なのかも知れません。
今回の遠足二日目というかその遠足の主たる目的地は遠足のタイトル「南山城の仏に会いに行く」の通りですが、これは岩船寺→わらい仏→浄瑠璃寺(→ブログ南山城)→円成寺。
上記愕然の前に愕然とさせられたことが、実はあります。
今回東博(東京国立博物館)で開催されている特別展「京都・南山城の仏像」の件。
やっちゃいましたね。そこに浄瑠璃寺の仏像が展示されるよう。
その以前に奈良博(奈良国立博物館)で同様の「巡業」があったことは承知していましたが、てっきりそれが終われば浄瑠璃寺に帰るものと思い込んでいました。
その前は毎年九体の阿弥陀如来坐像が数体ずつ修理に出て御堂④(灯籠は再掲 南北朝時代のもの)内の本来の勢揃いがありませんでしたが、まさかそこまで外働きをさせるかと・・・
あの地、木津川は便が悪く、人の往来が少ない場所。
仏像も都会に出なくては大きな稼ぎにはならないのでしょう。
まぁこの件もバスの中で白状することにします。
完全ではないということを。
主体は「わらい仏」ですからと開き直り。
またもう一つゲロしなくてはならないことは浄瑠璃寺に団体割引が無かったこと。回文にはそれがアルようなことをうたっていましたから⑦。
お彼岸の中日は三重塔がオープンするよう⑤⑥。
まぁ恥の上塗りツアー、あとはお天気だけ。
①②③は浄瑠璃寺参道脇にさりげなく立つ、南北朝時代の角塔婆が。
それは「塔身が方柱状に造られ、その頭部を四方とも傾斜を作って山形に作り、その下に二段の切り込みを持つもので、一見板碑を角状に造ったものの如く」(石造美術の分類)ですが、見れば宝篋印塔の笠が。
それは後補に見えますが・・・
角柱四面には真言系密教の「阿字観」のニュアンス漂う梵字が。
梵語の第一母音a~大日如来 胎蔵界~をもってその宇宙を観想するというものですが・・・。
私は「念」といえば阿弥陀さんだけ。
⑧は浄瑠璃寺阿弥陀如来。東博サイトより。
今、東京に行くべきか気迷い中。
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