相良は恒例秋祭りの三連休。
当然いつものようにお寺は暇になります。
相良住まいの長い人たちは祭典中に「仏事はやらない」というならいがあるのと、そちらにいろいろ注力し、大いに関わるという傾向がありますのでお墓詣りも少なし。
地域神社のお祭りにお寺としては無関係(ただし「さ組」~相良区からご祝儀の依頼はあります)という歴史を貫いてきていますので拙寺に生まれた子供たちも祭りと言えば棚店の食べ物(相良区)にのみ趣向が向くのみ。
しかし祖父は日が落ちた頃、神社に出向き催される演芸を一通り立木の脇で立ち見するという毎年の習慣がありましたが、私にはその趣味はなし。
妹が「台所に立つのも辛い」と足の不調について電話でボヤいていましたが齢を重ねると女性の方が男性に比べて足の具合の劣化が進むようでその件どちらでも耳にします。
奥方は足の方はされほど悪いというわけではありませんが、暑さで台所で「火を使いたくない」とボヤいていることから私は奥方に「本日の夕食は神社の棚店で」と提案。
あまり期待せずにダメ元で出向きました。
奥方は焼きそばを所望していたようですが、その値を目の当たりにして(500えん)一気に食欲減衰したようで「ヤメタ」と。
「それなら自分で作る・・・」がその意のようですが、そのくらいの値は今時、許容範囲ですがね。
奥方はその500円でなぜかベビーカステラ、私はケバブ風の600円を購入して帰宅。
ケバブ風というのは秋葉原や名古屋辺りでトルコ人が経営する本場ものとは違う鉄板焼きの牛肉を炒めたものになります。
ケバブといえばコーラが定番。味はまずまずでした。
ケバブ用のパンは簡単に入手できますからね。
まさかそんな店が出ているとは・・・
いつもと違う夕食になりました。奥方は残りもののパンとサラダでごまかしたよう。
扨、御土居については以前、鴨川沿いの蘆山寺のそれを記したことがありましたが本日は玄琢町玄琢道の遺構(場所はこちら)。
現状御土居遺構としては下記の内、「大宮御土居町」の御土居ということになります。
9カ所の遺跡指定は・・・
昭和五年史跡指定8カ所
*北区紫竹上長目町・堀川町(加茂川中学校敷地)
*北区大宮土居町 玄琢道脇
*北区鷹峯旧土居町2番地
*北区鷹峯旧土居町3番地-御土居史跡公園
*北区紫野西土居町
*北区平野鳥居前町
*中区 廬山寺
*中京区 市五郎神社
昭和40年史跡指定1カ所 *上京区 北野天満宮
史跡指定外 *北野中学校校庭 *大宮交通公園
その玄琢道という名称が野間玄琢から。
彼は父が昵懇にしていた曲直瀬道三の養嗣子の曲直瀬玄朔の門下に入って医術を学んだ人。
医者としてスポンサーは天皇家に幕府(秀忠-家光)ですから当時のその名は確たるものだったでしょう。
その人の屋敷も近くこの辺りには彼の薬草園が広がっていたそう。
⑧画像は玄琢町の図ですが、医院がこの地区にあるのはまさに「合っている・・・」とニヤリとしたところ。
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