井田城石碑の裏 三河武士の気概 酒井一統の要

昼前迄いつもの晴れ。熱中症警報が出ていましたが、青空の各所には秋を思わす雲がポツポツは漂っていました。

のんびり進む台風7号が確実に迫っているようです。

鬼女新田、行僧原の墓地への道も直射日光にも関わらず茶畑台地を吹き抜ける風は心地よし。

暫くして午後になると一気に雲に覆われて小雨まで。当地はまだドカっとは降っていませんが。

 

「奥の墓道」氏が早めの横浜帰還とあって遅い昼食に合流、同席しましたが私は間もなく自宅に戻って台風対策の仕上げ。

大きなハイビスカスの鉢を軽トラに載せて駐車場車庫前に。

尚荷台の左右あおりにはコンパネを設置して終了しました。

 

夜間はNHK 「国家総力戦の真実」。

「強制じゃないよ」との公称ながら裏では割り当てがあってある中学校では75名の動員兵を。

中学生、子供たちを志願させる、期待する・・・などその段階で施策自体が既に敗北。。

殆ど捨て石、使い捨ての命だったと思うと気の毒でなりません。

 

人口減少が大きく言われる世の中ですが、もしかして・・・戦争で亡くなった子供たちがそのまま今に「生きて」いてくれたら、命が伝わっていたとしたら・・・を考えてしまいます。

生きてさえいれば連日拙ブログの「孫、曾孫ら多数」の如く子供-孫-曾孫-そのまた玄孫に繋がっての子孫繁栄の図が思い浮かぶわけです。

どれだけ後悔しても後悔しきれないあの戦争。

総国民反省の機会、大切に。

 

扨、先日は井田城址公園、晴明白龍大神について記しました。

その井田城址の石標の裏側にはこの井田城こそが三河武士の発祥の如くの記述がありました。神社の縁起も同様です。

ある意味そのように解することはまんざら飛躍していないだろうと先日記した賽銭泥棒へのメッセージ同様合点した次第。

 

城郭大系の記述は「その他」でさらりと1行だけ。

「酒井氏居城 康忠より三代在城。現在城山稲荷」。