昨日の法事のあとのお斎にて。
私のお向かいに着座した故人の縁者と昨今の賑わいが戻ったイベントの一つ、花火大会についての話題になりました。
私はそれが大嫌いなものですから、その件なら・・・とばかりに「あの混雑と暑さの中、花火など見に行くなど正気の沙汰とは思えませんね・・・」と同調を求めようと発したのでした。
ところが「私たちは夫婦は先週の安倍川の花火大会に行ってきた」と。
私と同年代と思しき方でしたのでてっきり同類かと勝手に判断して放った語でしたが、またやっちまったと苦笑い。
しかしいまだ信じられません。
世の中の人々はアレが好きなの?楽しいの?甚だ疑問迷宮。
それとも私どもが変人なのか・・・
屋台・トイレは長蛇の列。終了後は人の波だったそう。
私は自宅でのんびりと安静に過ごすのが一番・・・
最近は花火大会のテレビ中継もあるようですがそれも「なんだかな~」という感じです。
その形態をジジーと言うそうですが・・・しかしまぁ、あんなものに大挙する世間様について私は依然理解不能。
「祭りのあと」にゴミ片付けと来訪者のマナーについて論じられていますが私から言わせれば「おカネも勿体ないしおやめになった方がよろしいのでは・・・」ですね。しかしおカネ・・・あるところにはあるのですね。
扨、昨日の姉川合戦図屏風。再び。
私はかなり以前その展示がある福井県立歴史博物館にお邪魔してホンモノを拝観し、また拙ブログで何度か話題にしていますが、意外に思ったのはそのサイズでした。
思っていたものよりかなり小さめ(6曲1隻縦110横312)。
そして製作年が天保八1837年と時間がかなり経過(元亀元1570年)してからのものというのも。
まぁ、徳川方の勝ち戦を描いた屏風ですが、その登場人物を確認するのもなかなか面白いものがあります。
ここぞといった登場人物にはわざわざその名を振っていますから親切です。
左隅に①の旗印、家康の本陣があって右方向が朝倉軍。
その中央部、殆ど真ん中にスポットが当てられていたのが今回の岩瀬文庫の企画展「松井忠次」でした。
やはり屏風の中央には製作におけるスポンサーの影や、作家の忖度が向けられるものですがそこに居たのが「松井左近太夫忠次」②。
会場案内より「忠次は姉川戦以降、三方ヶ原、諏訪原城攻め等に家康とともにしその功績から松平姓を賜って松平周防守を名乗ります。」
そしてやはり屏風中段中央ド真ん中にあるのがこの二人③。
「松平甚太郎康忠とあるが甚太郎は東条松平氏代々の仮名であるため東条松平家忠。
隣には家忠の義父である松平伊忠(深溝)が描かれている」
西尾の東条所縁の人々が描かれているわけですが、やはり屏風「中央」に描かれるということはステータス。
ちなみに④成瀬藤蔵は本陣下の霞に消えそうな場所。また彼の弟の正一の方が凛々しく描かれている⑤ということは亡くなった者はテキトー、しかし継続している家系は念入りに・・・そんなものなのでしょうか。
まあ、あの著名な合戦「姉川」に藤蔵と正一兄弟が描かれていること、それが私がお気に入りにしている理由です。
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