三連休最終、海の日の昨日は午前の法要後、暗い本堂を飛び出て世間様がはしゃいでいると噂の「危うい熱中」を覗きに海岸をブラついてきました。
相良海水浴場は何の事はナイ、閑散としていました。
本格的な夏休みはまだですが、私の知っている海水浴場のウンザリ感はまったくナシ。既に「終わってる」感か。
複数あった海の家は辛うじて1件残るのみ。
人の趣向がこうも変わるとは。
帰宅後境内の除草剤散布後、埃だらけの甕と壺をひき釣り出して洗濯しました。
この「水遊び」はまさに適正。あっという間に乾きますからね。
三耳壺は父親の趣味。
どちらかで求めたものと思われますが40年は庫裏に放ったらかしになっていたもの。
骨董価値はないにしろ父の遺品ですから大事に守っていく所存です。
こちら、通常時は壺台に据えられているものの座りが酷く悪く実際の利用には一工夫必要だったでしょうね。
風が強ければ倒れそうなくらいぐらぐら。
もっとも実利用のために作られたものではないでしょうが。
私はお土産品程度の見立て。
むしろ価値というか当家にとって大切な甕といえば④⑤です。
当家累代の墓地を改修した際、「こればっかしは慎重に」と取り出しを依頼した代物、骨壺です。
時代で言えば少なくとも江戸中期は確実、ずっと土の中にいたもの。
実は骨壺の骨董価値は高いものがあって中には「ええ・・・」と溜息がでるようなものがあるのです。
某局の「お宝~」番組でも時々「それって骨壺かも」といった大型容器が出品されています。骨董屋さんやネットにも並んでいますが・・・
道端の地蔵や五輪塔をかっぱらって来てカネにしようなど見え見え。
骨壺が出品されていても不思議はありませんね。
まぁそういう輩は往々にして大甕ならぬ「大罰」があたるものです。
そうでなくては面白くない。仏は必ず見ていますから。
当地であった笑い話ですが、自宅周辺を掘り起こしていたところ、古信楽らしき大壺が顔を出し喜んで掘り起こしたら骨が出現「慌てて埋め戻した」など聞いたことがあります。
それには色々思うところがありますが、他人様のことですからね。
当家のその壺の大切さは何よりも御先祖様がいらしたということが主。
境内には骨壺が使用されている墓はまだたくさんあるはずです。
骨が溢れて安直に壺を壊すことがかつてありましたが、私は「勿体ない」と本格改修を再考されるよう口添えしています。
⑥の甕は秋野氏寄進のもの。
重量はかなりあって安定度も抜群。
デカすぎて骨壺には不適でしょう。
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