最近「山女」と化した友人の「女墓場」が「いつかは・・・」と口にしている富士登山。
静岡県人の私としては「富士は登るものに非ず 眺めるものである」の主張をしますが、「そうはいかない!!」と私の意を聞かずにその機会を狙っています。
天気の安定と仕事の兼ね合い、そして心身の健全キープが条件になりますが最近の富士山事情は大分変っているようです。
コロナ後の外国人観光客御一行が大挙することもあって富士登山道がにっちもさっちも行かないくらいの「大渋滞」が発生しているとのこと。
私は経験したことがありませんが普通は登りで6~7時間、下り3.5~4時間かかるといいますので、途中その行程に詰まりが生じたら下山は大幅に遅れるでしょうね。
滞留時間が多ければ疲労度は増幅しますし天候の急変もあるでしょう。
呆れ果てるばかりですが、短パン等軽装の超お気軽スタイルの「弾丸登山」というものが流行っているよう。私の如く下から見上げる身ではあるものの「よくやるよ・・・」の感。
安全の登頂がツキ次第であることがわかっていないのでしょう。
天気と体調ベストの幸運が重なれば(転倒滑落落石を無視して)なんとか登って降りてこられることは確かでしょうが、一歩間違えれば地獄行きもあること、御承知おきを。
また、先日富士登山者の「置き土産」の困った、の件が報道されていました。登山道の掃除が大変の様。
登山者増大によりゴミも半端な量ではなくなったそう。
山には人の山、ゴミの山。比較的初心者のお気軽登山者の多い富士登山。マナーもへったくりもない皆々の始末の悪きことが目立つようになっているとのこと。
そういえばプロ専のアルプスあたりでも今はゴミだらけのようですね。
山の天気急変には「身軽になって下山」で対応を試みますからそうなるのでしょうが「自然が好き、山が好き」はわかりますがそれをぶっ壊しているということも理解すべきですね。
扨、昨日の通り、境内には長沢松平の系の墓域があり「松平某」の古めの石塔の点在に「お花畑」を闊歩するが如くの私でしたが「ほう・・・」という具合に墓碑銘がハッキリと判読できるほど表れている五輪塔と遭遇しました③。
俗名松平庄右衛門尉清直 原光院殿賀屋浄映大居士
慶安四辛卯年六月七日
松平清直はやはり長沢松平つながりの家老職。家康とも結縁は薄いなりにもありました。
御家継承の流れで家康六男の松平忠輝(五六八姫の夫)が長沢松平を継承した際、清直も引き立てられつつ励みますが忠輝の改易によって浪人の憂き目。
それでも幕府から声がかかって三河形原の地を与えられています。異例の展開といえばそうですね。
清直の字の通り性質が真面目だったことが推測できますし、やはり家康とはそう遠くない位置にいたことが大きかったでしょう。しかし最大の理由は彼の娘が土井利勝に嫁いでいたからといいます。
たくさん子供を作って姫ならば有力者に嫁がせる・・・身をたすけるということでしょうか。男子より女子のが力を発揮したという例かもしれません。
あの五六八姫は気の毒でしたが婚姻に運不運はつきものです。
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