昨日は庫裏玄関の内装いじり。
玄関内ガラス戸を板戸に変更した流れで、舞鶴殿玄関飼い5年の傷跡を修正する作業に。
特に壁紙をかなりヤラれていましたので板壁に変更していこうというものです。
先週、靴箱を撤去していますので次は長めのベンチを製作し、その下部に靴や草履を収納する算段を。
そこに昼前、息子がやってきて「鰻が喰いたい」と。
ベンチの材料の選択と、良き気分転換になると外出しましたが、ここでも齢を感じましたね。
息子と同じ調子で同じ食事を摂ることがこれほど苦痛かと。
そもそも鰻など食べる気持ちはなかったのですが。
それは量と味付けの件、たまたまだったのかもしれませんが汁がご飯にタップリとそしてまた甘い。
以前はそう感じられなかった点ですが、量も彼と同じというのははもうムリのレベル。
ただ息子の身体を見廻して「腹が出てるぞ」とその不健康を指摘するばかりでした。
まぁ私も同じようなものですが。
ただし鰻は小さいサイズ、それもあと1年はインターバルをおいてもいいくらいです。
先日は檀家さんでスーパーの29円のコロッケを食卓にし、移動はバス代が勿体ないので自転車が主になったという方とお話。
この時期自転車での移動はやたらと冷たいものが欲しくなるということでコンビニが現れるたびにそちらに寄ることになって却って不経済であると。
思わず「なるほど」と笑っていましたが、急に私ども家族の納得のいかないかつ贅沢な昼食について反省の気持ちが。
私はコロッケは好物ですし、それは嬉しい品です。
特に最近は「自宅で揚げ物はしない」宣言をされてしまっていますので所望したいもの。
またその方がコロッケ一品のみの食事とは思えませんが家の経済状況について切実に語られたこと、特に印象的でした。
そういった方々に支えられている寺であることをこの不満足を得て再認識させられたのでした。
扨、夜間はNHK知恵泉。
「徳川三代を支えて大出世! 土井利勝」でした。
人間性良好が上にも下にも認められて大老にまで上り詰めたということですがそもそも「水野信元の庶子」(於大の方の実家筋)ということがありますので血筋というところから見てももっともなところ。
土井利勝絶賛の番組でしたが秀忠とグルで行ったというフェイクニュース~「土井利勝が謀反を」の内密文書~を諸大名に発信し、その対応からニ心の存在を炙り出した件、性格がイイと言えますかね?
かなりエグイ謀略としか。
この件で謀反の存在を多くは幕府に深刻した中、その報告をせず腹の中に置いていた者が二件。
駿河大納言徳川忠長と肥後熊本二代加藤忠広といいます。
各理由が交錯していてハッキリとした理由はありませんが、この二者とも改易されていますからね。
その土井家発祥の地が岡崎にあります。
利勝は誕生は浜松ですが幼少期はこちらで育ったとのこと(場所はこちら)。社宮司社付近が土井城址。
地番も岡崎市土井町蔵屋敷。歴史を感じる地です。
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