沖縄は一番美しいシーズンを迎えます。
梅雨が明けたとのニュースがありました。
毎度毎度未練たらたらの私ですがこの時節にそちらに向かうことは殆どムリ。盂蘭盆の用意もありますが各週末には法事が入ります。
かといって「イイ歳」こいてビーチで肌を曝せば相当ひどいことになりましょう。
先日、ほんの少しの草刈り外仕事で首の付け根部分が赤くなり、ヒリヒリが数日続きました。
以前であればそれほどの軟性はあり得ず、一年を通じて「黒さ」を醸し出していたようですから。
この時期その未練に触れると奥方は沖縄の太陽も飛行機に乗るのもイヤだと罵ります。
例年梅雨明けといえば沖縄戦が終わった日、6月23日前後で以前から「沖縄に行くならそこ」というのが決まりでしたが。
その6/23に合わせて各違った切り口からの特集番組が組まれるのもこの頃のことですが、昨晩は沖縄戦におけるアメリカ軍の戦闘中を含む録音音声についての特集番組がありました。
日本人を侮蔑するあの言葉「ジャップ」が何度も飛び交っていました。彼らにもとっても「あらゆる地獄」を味わった沖縄ですが日本の戦没者数、特に沖縄の民間人の死者は特出でした。
まぁ「捨て石」にされた感、漂うあの戦闘でしたが、先日別番組で知った件、沖縄戦で亡くなった日本人、都道府県別の出身者数について1番は沖縄に決まっていますが、2番はどちら?と。
それはなんと北海道。
北海道で召集されて沖縄に送り込まれたアイヌの人たちに特化した隊の戦死者が特に多かったということです。
アイヌの人々が送り込まれていたことなど初めて知りました。
そちらの番組では糸満の戦没者慰霊碑「南北之塔」に刻まれた「キムンウタリ」(山の仲間)という語を元に追跡したものでしたが、私も沖縄通をぶっていてまだまだ甘いを感じたのでした。
それを聞いてやはり「捨て石」を思ったのでした。
軍部の発想であることは間違いないところですが、私たち「日本人」の心の隅に沖縄人、アイヌ人・・・先住民という違いを認めない気持ちが隠れているということかも知れません。
決戦場は内地よりできるだけ離れた場所で行い、できるだけ時間を稼ぎ内地侵攻を遅らせ、そして投入する兵はアイヌの人たち。
結構に、ロシアの戦争のやり方と似ているような。
扨、昨日の2つの城址といわれる住宅街を抜けき切ると岩津町市場の信号に行き着きますがその手前脇に地蔵堂がありました。
「市場」ということでこの地蔵堂の辻にかつては市が立って賑わいがあったことが想像できます。
こちらは岩津城下の真西にあたります。
今は交通量が多い県道がその前を走っていますが、かつての主たる城へ向かう道筋は搦手方向になりましょう。防衛の要となる地でもあります(場所はこちら)。
②⑦の背後の山が岩津城。
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