岩津大善西・大善城 成瀬城のお向い 岩津町公民館

昨日はうれしいニュースがありました。

今年3月に文化庁が京都に移って初めてお仕事のようですが、このほど本山東本願寺の建物17棟が重要文化財に選ばれるかも知れない(答申)とのこと。

 

次回の遠足ではそちらへのご案内の予定は入れていませんでしたが・・・リクエストが沸き起こるかも知れませんね。

かつて拙寺ご門徒様を引き連れてそのエリアには何度か歩を進めていますが、もしそれが実現すればますます本山お参りに付加価値が付くというものです。

 

禁門の変の際、長州勢に寺を焼かれてからの再建となりますからお西の伽藍に比べて「古さ」の点でイマイチの感が漂っていましたが明治期以降の建築遺構として再評価されたということですね。

次回30分の延長をしてでも、ざっと廻ってこようか・・・などとも。

こういう機会(機縁)は大切にしなくてはなりませんからね。

少々気がかりなのは、拝観料やご寄進のお願い等維持費捻出の件が出てくるかも・・・

まぁ、おまかせいたしましょう。

 

扨、先日記した岩津成瀬城

松平信光の岩津城周辺には成瀬城の如くの「城」と称される址が点在していますが、今は住宅地として開削されどちらもその面影すらありません。

グーグルマップには成瀬城の前を走る国道を隔ててその向い側に大善城と大善西城があります。

 

大善西城は若一神社という目印がありますが、城址としての面影は感じられません。神社の標識があるだけまだマシ。

そしてまたその奥にある大善城の方は住宅地になり、まったくといって「よくわからない・・・」といったところ。

箱柳の中根の遺構であるといいますが「成瀬のお隣に中根」というところだけは密かに合点した次第です(場所はこちら)。

両家のおつきあいは本多家よりも古い?

 

①神社は岩津町公民館に隣接しています。

⑥境内から目の前の国道を走る車が見えますがその対岸が成瀬城。⑦神社前を進んで県道岡崎足助線に出た辺りで神社方向を振り返ってみました。右側の住居の並びが大善城址になるかと。⑧はその道で見かけたマンホール。