桂昌院とけいしょう殿 本庄家墓域 善峯寺 

久々刈り払い機を持ち出して旧会館の跡地と坪ノ内(本堂北側)のボサボサをざっとやっつけました。

後者の方はこれから百合が「咲くぞ」を主張していますのでそれを避けて進むのは厄介でした。

また樹木が生えまくってそこに入ること躊躇しました。

「やはり冬場だろ」と理由を見つけてさっさと退散した次第。

マダニ「今年で4回目」となることは避けたいですからね。

シャワーを浴びて風呂場から出てくると首の後ろ側を見た奥方が「赤くなっている!!」と。

「またヤラれたか」と一瞬硬直させられましたが「日焼け」のことでした。

 

境内では80代の奥様と雑談。

10月のバス遠足のお誘いをすれば、「もうヨタヨタで歩けない」

と。以前は何度かおつきあいしていただいていましたが、その言葉は今どちらでも聞こえてきます。

このコロナの3年が人の前向きな心と体力を衰微させてしまった、そういうことですね。

 

車は車検切れとなるこの夏で終いと。

車には未練はナシ「どこにも行かないし家でリモコン持って座りっぱなしだから・・・」。

寂しい話。それに追い打ちをかけるように「金欠病になった」と。

コロナ前までパートの就労をしていてそれを辞めたから・・・とのことですが、ご主人の(遺族)年金はまったくナイとのことでした。女手独りで子を育て上げたがその子は地元には戻らないそう。

恨み辛みの色々をお聞きしましたが特に政治についての不満は強烈でした。

アイツが悪い・・・だから「ロクな死に方」をしないと吐き捨てていました。

厳しい口調に苦笑い、時にあまりの勢いに爆笑しながらそれを拝聴させていただきました。

 

よく言うその「ロクな死に方」。

まぁ布団の上で死ぬことができないということなのでしょうが、私は海や山で自身息絶える「野ざらし」「野たれ死」の図を時々脳内で描いたりします。

しかし就寝時に布団に潜り込んだ際、どう考えてもやはり布団の中ほどの仕合わせはナイと感じますね。

 

その御仁は各方面から「恨みの対象」にされていたようですが、一般的に人という者、他人様からそうなることは避けたいものです。

それは普通の人ならどなたでも。

坊さんとしての私であっても「それはどうだろう・・・」。

立ち止まって心を配ること、忘れてはイケないと思います。

時としてイケイケの直進的発想をしてしまう私は他者をおいてけぼりにしてしまいます。逆回転の状況もしかり。

 

そして死ぬべくして・・・(他者の感情爆発の矛先を受ける)ということあるものなのか・・・

まぁ人間、いや生物そのものは普通に最終的にはその道を辿って行きつくところは同じなのですが。

「死に方」にも色々あるのでした。

 

しかし、せめてのんびり、ゆったり、吐いて吸って吐いて・・・

呼吸を感じながらゆっくりと息を引き取りたいものです。

やはり布団の中で。

それが庶民の感じる「まとも」。オーソドックス。

その件御仁が辿った異常奇異なシチュエーションの他、事故というものもありますからね。まぁいろいろある。

 

扨、本日もまた善峯寺(昨日)。

広大敷地に建つあれだけの堂宇と仏たちは見事ですがそのスポンサーといえば桂昌院。通称「玉」さま。

家光の側室となって子が五代将軍綱吉。官位は従一位まで上り詰めます。

当然の如くトントン拍子に出世した彼女の出自については「ホントは低かった説」が交錯するほど。

ハッキリと確定的なことはわからないようですが、公証では公家家出自ですからお得意の後付け高家の感。

おかげさまとはこのことで彼女の出といわれる本庄家の人々も一気にスパート。大名家の一員になるという栄華を誇ります。

人間どこでどうなるかなどまったくわからないとはこのこと。

 

けいしょう殿と彼女の像は近年のものですが桂昌院なくてはこの寺はナイに等しいなくてはならなかった人。その人への報謝の想い、よくわかります。 

④は遺髪墓。

⑤⑥は本庄家の墓域。葵紋が光っています。

「将軍の母」の家族ということで。

⑦⑧は京都市内を見下ろす場所から開山堂を。

こちらが源算上人の廟所になります。

 

これほどの階段だらけ、高低差のある山にバス遠足でお連れしたらきっと、みなさん暴れ出すのでは。