合掌姿の釈迦如来 善峯寺釈迦堂 平安期の117歳

最近の法話で度々使用する語に「老い」「時間の経過の早さ」があります。

昨日は私的にこれからは「老化がテーマ」と記しましたが将に日々それによるネガティブ事象、「やらかし」が殊に多くなってきたからですね。

年齢を重ねた方が「やらかす」と断定することは年配者排除の思想であってあまり感心できないことはわかりますが、社会的に「ジジー」の範疇に突入している私がそれを言う(自虐)ことはまんざら悪いことではないと思いますが。

反省自重して生きたいということですからね。まぁ一方「オレを排除してくれ~」でもありますが。

 

身体能力もそうですが、判断力の劣化も著しいのが老化。

寂しいことでなさけなくも仕方なし。

先日は、息子から彼が外部から受けた法事について私に「住職(の立場)から挨拶の連絡を入れてくれ」と連絡がありました。

以前の寺ではそれは当然の流れだったようです。

私は「それはスジが違う」と一蹴。

彼にそれをやらせました。

何故なら、私はすでに「やらかし」の境地に入っている身。

名目的な職名をもっての「代表者である」の形式はオカシイこととして、とにかく御前(息子)こそが寺の代表者として振る舞うことが肝要であると。

 

まぁ、先日まで(10年以上前のことですが)通夜・葬儀に私の隣で居眠りして怒られていた彼が何とも成長したものです。

おかげさま、有難いこと。

これで次の度を越した「やらかしジジー」の出現があればいつでも退場できるというものです。

 

政治世界にはそれがわからない御仁ご老体が多いものです。

定年制を設けた方がいいんじゃない?と思いますが、それは絶対やらないご都合主義。それなら自分で判断すればいいのに・・・と思うのですが。

しゃしゃり出続けると後の者たちが育たない。

 

扨、昨日に続いて本日は善峯寺釈迦堂。

こちらの釈迦如来坐像も初めて見るタイプです。

合掌ポーズのかわりだね、開山の源算上人(983~1099)作という1000年モノのお釈迦さんになります。

それにしてもこの人の年齢、平安期に117歳とは・・・

この方からすれば70・80歳などは小僧のようなものか・・・

私などは小僧以下。

はなたれ小僧。時代が違うのかねぇ・・・