数日前、朝の早い時間に呼び鈴が鳴りました。
すると大きなマスクを装着した御年配の女性が扉前に立っていて第一声「だれでしょう?」。
私はその姿にどなたか思い浮かばず早々に降参、「わかりません」と。
するとその方が今年一月に亡くなった方(八十五歳)の奥さんということがわかりました。
葬儀も四十九日の際も骨折後のリハビリ中とあって車椅子姿。連れ添いとの別れもあって意気消沈の様で会話もありませんでした。
ところがその朝は「娘に連れてきてもらった」と車椅子ではなく自分の足で立って歩きまた饒舌元気の姿。
その「元気になったよ」を極ハイテンションをもって披露するために庫裏に寄ってくれたのでした。
子供たちのおかげとは仰っていましたが、あの御年で車椅子からの離脱の功は偏にご自身の努力ですね。
色々な難題にぶつかってもへこたれず周囲のアドバイスを素直に聞き入れてただただリハビリに励んだからに決まっています。奇特な事でした。
扨、昨日に一昨日と豊田東インターから矢作川を渡って岡崎市「細川」の信号を右折して細川と仁木のそれぞれの城址について記しましたが、その細川の信号を右折ではなく左折した地が順行寺のある細川の「根古屋、城山」になる小字がありました。
さらにそこから北に少々行けばスグに矢作川にぶつかりますがその手前の丘の上に蓮性院というお寺があります。浄土宗でその山号が細川山。
こちらが細川家の菩提寺になります(場所はこちら)。
細川の地に土着して細川を名乗ってからまもなく創建された寺ですからまさに本来の菩提寺。
細川頼之、そして松平親忠が大樹寺開山の勢誉愚底を読んで開山中興したとのこと。
ショッキングだったのは伊勢湾台風で本堂が喪失していたということ。碑が建っていました。
三河の近代の歴史を眺めているとその台風の被災は著しいものがありますね。
また前回の被災から間もないところ「6月の台風」(梅雨前線付)が北上してきます。くさくささせられるところ。
⑤の右端が細川義季で⑥、そのお隣が⑦細川頼之、⑧松平親忠。
その他、有徳なる方々多数。
当時でしたら早々に再建の話が出てきたでしょうが、このご時節多々困難ありましょう。私の知っているその台風での寺院被災で最大のものでした。
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