土砂降りにうんざりさせられる日々が続きました。
やんだと思っていれば、ザー・・・その繰り返し。
それでも昨日はようやくお昼近くから太陽が顔を出してくれました。
「うれしや」とばかりに外へ出て雨が嫌いなブーゲンを陽の下に引きずり出してから、先日ガラスを除去した風呂脱衣場の戸に木板と樹脂パネルを装着する作業を。
テラス1階に工具一式がありますのでその入口真ん前に置いた軽トラの荷台が作業机になりました。
テラスにはまだロクに紐解いていない古い文書が放り込んである箱があります。
お日さまが出たこともあって虫干しを兼ねて荷台の上に。
ただし、スグにうんざりして元の場所に戻してしまいました。
「また今度・・・」の先延ばし。ずっと放ったらかし。
そして下の図は昨日ポストに放り込まれていた回覧板。
外の作業の合間にこれをまじまじ見入れば思うこと多多。
当地の海岸線に連なる松枯れの惨憺たる状況は適宜ブログでも記していますが、回覧にはその対策の薬剤散布の予定日と注意書きが。
私は小田原在住期間が長く、城内の松枯れ対策を見ていますが以前からその件知る人ぞ知る「発がん物質疑惑」と囁かれていてやはりこういった文言を見ると「大丈夫かよ~」の想いが。
小田原と違って当地は海岸線限定ですからずっとマシではありますが。
またさすがに一昔前に撒かれていた薬剤(スミチオン)とは違うようですが、殺虫剤は殺虫剤、人間も生き物ですから「安心」などとは言い切れません。犬や鳥類にもよくない薬ですからね。
ヒトは勿論犬と散歩するのも次の雨まで控えた方がイイかも。
この紙切れ1枚の告知も「なんだかなぁ~」。
そして私がかつて聞いたその殺虫剤の散布時期は3月「啓蟄すぎ」が有効との件、この時期に散布するというのはどちらでも固定されているようですが、本当の所が知りたい。
撒いても撒いても松枯れが続いているという現状をふまえて。
温暖化傾向もあって活動は早いはずですから。
扨、昨日まで岡崎の秦梨周辺について記していましたが、秦梨街区からさらに乙川沿いに北上、ついでと言ったら申し訳ないですが岩戸城址といわれている神社に寄りました。
神明社周辺が城址といいますが周囲より一段高くなっている様と乙川とその支流を堀に見立てたであろう城塞を思いました(場所はこちら)。
日本城郭大系には
「岩戸城
岡崎市岩戸町 天野遠貞が在城し天野氏が代々居城した」
「中山岩戸の天野」。天野氏 595ページ上段。
「遠貞四家七名字の人々とともに良王を奉じ處々に逃れてときをまつ~」。
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