先日叔母から松風鉱一さんの逝去の報せを受けました。
2017年、18年と2年連続、拙寺盂蘭盆会法要にてお世話になっていました。
当サイト「ホーム」に当時のジャズ独奏会の件を記しています。
東京を活動拠点とする松風さんがこの相良のド田舎での演奏会を快く引き受けていただいて盛夏の本堂にジャジーで涼し気な音を響かせてくれたこと、懐かしく思います。
ご門徒さんからのちょっとスジ違いなリクエストも受け入れてくださったことが印象的。
気さくで温厚な性格を思いました。
「また、お願いしま~す」と軽口を叩きインターバルを開けていたところ病気蔓延の社会に突入してしまい、再開に至らなかったところ今回の訃報でショックで残念の感。
2019年に癌が見つかって治療を続けていたとのことですが今年に入って各所転移が。
亡くなる一週間前まで演奏活動を続けていたとのことでそのバイタリティとガッツに頭が下がります。
再た本堂で演奏していただきたかった・・・
本堂での氏の姿を思い浮かべ、南無阿弥陀仏。
なにより拙寺への来訪そのものが勿体ないことでした。
扨、先日は秦梨山城チャレンジの際に墓地の駐車場に車を置いてから周辺をブラついたことを記しましたが、私は墓があれば一応は墓石たちにざっとご挨拶。
勿論その意図といえば「古そうな石塔」にうまいことお目にかかれれば・・・という願望も含みます。
その墓地の中で、明らかに真宗系の法名のある墓塔と周辺にちらばる一石五輪塔やその残欠たちに目が留まりました。
この城周辺では戦国期に戦闘が行われていますので、その戦死者を弔った・・・などなど想像が広がるワケですね。
また、この地区の周辺には興味深い字名があります。
乙川の西側に「寺向」という地がありますがその寺はおそらく真宗大谷派の福正寺でしょう(場所はこちら)。
そしてその「寺向」の隣に「阿弥陀前」に「阿弥陀」という小字。墓地の石塔の推測いろいろやはりご門徒さんだったのかな~などとこれも想像。
ちなみに⑩墓地にはやはり「蜂須賀」さんの名が。
①~⑨は福正寺にて。
親鸞さんと蓮如さんの像そしてその標文言が。
城塞の西というこの寺の立地に阿弥陀の名。
太鼓桜らしき建造物も風情があります⑧。勿論その後ろ側に見える山が秦梨山城になります。
お隣が保育園になっていて子供たちの声で賑やかではありますが。
⑦は本堂にお参り。その余間になりますが親鸞さんの奥に昨日記した七高僧の軸が見えます。柱で隠れていますがそのお隣には聖徳太子が。余間のそれ(聖徳太子+七高僧)は拙寺とは左右逆の配置になります。
たくさんの門徒寺を拝見していますが、まぁ拙寺の配置の方が少数派になります。
②お寺の掲示板。「愚痴を言いたい心」。
私はどうにもならないことばかり悔やむ・・・
特に「老」そして「病」。
まったくどう仕様もないのにね。
勿体ない仕方がないに生かされる。まぁそれしかない。
まかせましょう。
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