各地地震頻発に付き奥方より指示がありました。
風呂場の引き戸のガラスを「木板と樹脂板に変更せよ」でした。
最近はどちらでもその傾向があるようで交換作業を進めていると聞きます。サッシ窓はともかくとして室内和風の障子や戸板に使用されるガラス板はいよいよ不要品になるのか。
拙寺庫裏内はその手のものだらけです。
前回は台所の引き戸のガラスを樹脂製のものに変更していましたが、それだけでは不備だという主張でした。
私も同感で、風呂場にいても寝床から台所経由で玄関に向かうにしても地震で「割れたガラス」の上を通過することになります。ネコたちもそこを日々走り回っていますので。
この作業は温暖な季節オンリー、材料は午後揃えてきましたので週明け中ごろからぼちぼちやっていくつもりです。
ケヤキの朽ちた枝下ろし、昨日は鋸を使用しない方法で鐘櫻側の2本をやっつけました。
鐘楼へ上がり、竹の先にロープを着けて目標の枝に掛けて、軽トラで引っ張るというものですが枝は朽ちていますので鋸は不要。切り口というか折れ口は若干見苦しいものがありますが樹上に上がって鋸を引くよりもかなりラクな方法です。
頭上のリスクを危険度上位のものから少しずつ除去しています。
扨、秦梨山城、こちらより北に700m字神谷の秦梨城よりも断然わかり辛く、地元の方でも「知らない」という城。
私は「知らない」といわれても「二つある」の通り私には確信がありましたから一応わからないなりにこの山で時間を費やしました。
昨日記した三六堂なる建屋の脇の道を上がって山上迄。
この山もそうですが、もう一つの秦梨城前の道からぐるっと回った際もそうですが、各所に人為工作物-石垣が見受けられました。
後世に段上開削したうえの畑地境界あるいは建物跡の可能性もありますが秦梨山城側にも段丘上の曲輪を推測できる場所がいたるところに。
竹藪の中にイキナリ石垣といったシチュエーション、その時代背景とは。
南北朝時代まで遡るのかも・・・などと思いながら歩けば徒労には思いません。
画像は順序バラバラ失礼。
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