GW初日。
観光地はやたらと混雑している様。
思うにその中へ我が身を投じることは真っ平御免。
人、人、人の波でそれを見るのも悍ましいくらいです。
コロナ開放によって人の流れがバクハツしたような感。
都内(山手線内)在住の友人「女墓場」氏が、どこにも動かず都内で時間を過ごすというのも当然の事。この時節、動くのは適切でないということでしょう。
都心からではどこに行くにも大変です。
日本人は人が集中するところ、列に並ぶこといわゆる雑踏に安心感を見出しているのでしょうかね。
人の集まらない自然の中の楽しみはいくらでもあるのに。
人それぞれとはいうものの私には無理というかそれこそ地獄。
とはいいながら拙寺本堂では法要がありました。
群馬、千葉など遠方からもご参集があって賑やかでした。
ご夫婦お二人一緒の回忌法要でしたが、五十回忌と十七回忌。
法要終了後本堂前で写真撮影がありましたが、法要後に本堂前に整列するのは御当家のルーティーンの様。そして五十回忌の方の昭和48年おそらく四十九日法要の際の画像を拝見しました。
祖父が中心に座って私が見たこともない衣と五条袈裟そして毎度お馴染みの下駄という出で立ちでした。
時折、こういった「写真を撮りましょう」の時間はあるものですが、このように五十年前のものを感慨深く眺めて「案外悪くない」と思ったのでした。
私が率先して「一枚」という具合にデータコレクションしていくというのも一考。その際「私も一枚」などと言う方もいるはずです。
今時「カメラ付き」はどなたでも持っていますからね。
私が率先してそれを仕切ることができればカンタンかも。
扨、梶塚の続き。
この梶塚の辺りのことを梶集落であると考えますが先般梶塚の件でお世話になった方に伺ったところ「元屋敷はそちら・・・」とついでに墓地の位置まで伺いました。
自宅の背後に墓地があるというのはだいたいお決まりのパターンですからね。
等順寺の墓域に墓地が少なかったことからもそれを察していました。
周辺をうろうろと歩いたワケですがコレを街中でやれば即通報レベルでしょうね。
スグに梶家のご主人がお帰りになりましたので「お墓参りさせてくださ~い」で了解を得ました。
上部の元屋敷らしき地の西側の段々状④をよく見ると石垣ベース。また朽ちた家屋のある段⑤⑥⑦もしっかりした石積みがあって孫根城関りの根古屋を想像します。
屋敷下のスペースに⑧には井戸が。
ただし井戸がなくとも山からの湧き水は豊富のようでした。
墓域も大体の勘でスグ辿れました。
近年ご門徒風の四角形の墓石が・・・
⑫は屋敷前から孫根城方向を見た所。
それは樹木の陰、画像左側になります。
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