昼間は下関から当地に参られた現役の教師という方とお会いしました。もう一方の縁者は鹿児島からでした。
何ともその距離を考えれば「旅」。
あまりにも遠すぎてまた私にはその地の想像もできません。
そう言えば拙寺ご門徒さんで九州に住まう方はいらっしゃいました。遠隔地の法事はまことに大変なことです。
昨日もまたNHKで教師たちの積みあがる時間外就業について報じられていました。
私の父の時代とは大違いです。
父の若い頃、部活(ソフトボール部)の顧問はしていたものの、比較的早い時間に帰宅していて家族で夕食を囲むことなどはあたりまえのことでしたから。
なぜか今の教師たちの学校での束縛は過酷以外の何物でもありませんね。
「そうせざるを得ない」日々の仕事の山がそこにあるとのことですが、時代が変わってどうしてそうなってしまったのでしょうか。
私が思うに、これは生徒とその保護者の権利意識の増幅があるのかと。
自身「教師不適格」と判断し、早々にその方向性を放棄していましたが(父親は怒りました)、今聞かされるその仕事の山のそれぞれについて一言で「やってられない」の心。
失礼ながら「アホらしい」とも思ってしまいます。
校庭に残されたボールの所有者探しについてもその仕事の一つとのことでしたが私ならその件「いずれ判るだろ・・・」でお仕舞でしょうね。
それを「いい加減である、無責任だ」とお怒りになって教師の尻を叩きまくるというのが今の世間様の応えなのでしょうね。
先日もご門徒の現役教師から「息子は教師にはさせない」の言葉がありましたが、今感じるにそれは「超」がつくほどネガティブな仕事であることの証左。
一昔前ならば、社会的に尊敬され承認されていた仕事が落ちるところまで落ちたのかと。
誰がそうさせたのか・・・文科省の無策かと思います。
子供が少なくなってきているので「ま・・・いいか」などの悠長が延々と続いていたのでしょうね。
教育者がいない学校・・・考えられません。
今その仕事に就こうという若者はどんどん少なくなっているといいます。この状況でそれに就けば自身を殺すようなものと。
「自らを滅して 他を生かす」とは仏教的思考ではありますが、今の教師たちは雑多なことに没頭させられていて他も生かすことはできない呪縛の中にいるのでは・・・
とにかくアホらしくてお話にならないのがそのお仕事の様。
現場の責任感と奉仕精神に任せて放置していたいいのでしょうか。
政治屋と上級役人は何もわかっていない・・・としか。
扨、先日は根引峠について記しました。
その掲示板に「加茂の箱根」との記述がありましたが、それは少々言い過ぎ・・・の感。
私は小田原住まいが長く、相良との往復は箱根峠の通行は欠かせませんでしたし殆ど年がら年中箱根の道たちと関わっていましたからその「加茂の~」の表現には苦笑いしたものです。
まぁスケールが違います。
だいたいその「峠の攻略」について走り屋を煽っている様な気がしなくもありませんでした。
私はその街道の先にあたる足助の地に関してむしろ「名古屋圏の箱根」というような感じがありましたので箱根といえばそっちだろう・・・というところ。まぁ混雑という点で。
足助は香嵐渓という名勝地が有名で春夏秋冬、休日といえば相当の混雑になると聞きます。
そしてその根引峠の301号から根崎の交差点―孫根城へ辿る道は足助との抜け道になっているといいますのでこれからの行楽シーズンそして夏休みにかけて往来する車は増えるとのこと。
そうはいってもそれはちょっと信じられないくらい平時静かな地ですが。
画像は梶塚近くの街道筋で見かけた石仏たち。
永い間ここを往来する旅人を見守ってきたのでしょうね。
こういった野の石仏たちを見ると私は「草の想い」を想いますが。
男同士、大林宣彦と久石譲が歌うものが特に好みです。
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