昨日の本堂でも「寒い」の声が。
今それが聞こえてくるのは主催者としてプレスが掛かります。
といってもしばらくの我慢をしていただくほかはありませんが。
実は私も昨日は肌寒さを感じました。
この日は某家の「一處墓(永代合葬墓)」への納骨法要の日でした。8時すぎから外仕事、納骨の事前準備に動いていました。
先日も触れましたが墓じまい(今回は他流から当流へ)による遺骨の収納で位牌もまた拙寺で承ることになりました。
すると位牌には16名の名が記されていました。
御家のスタートは享保年間(1716~36)ですから300年の継承があった家です。
まぁ東京近郊となればこれだけのご先祖様を数える家はそうはナイでしょうね。
法要後庫裏に居ると寒気と頭痛が・・・
コリャ風邪か・・・やばいぞ・・・と布団に潜り込みました。
まぁ、おかげさまで数時間後に復活、何事もなく床から出てきましたが・・・。
16人の新しい仏たちに対して「ちょっと荷が重いかも」を心身感じたのかも知れません。「重い」は「思い」の積重ねです。
3つの段ボールに分けた遺骨を前に本堂で「正信偈」を一同で拝読。ご本尊阿弥陀さんの48願のうちの18番目を特に強調して「これからの御本尊は阿弥陀さん(立ち姿のOK OK)・・・ですよ」と。
尚、掘り出された遺骨は親族の手で洗って頂いていましたが、乾燥を促進させるために私が事前に小分けしていました。
そして皆さんの手で小袋に分け入れて納骨という段取り。
できるだけ、その作業は御一同で協力し「手を掛ける」・・・それが一番。
「墓じまい」・・・嫌な言葉ですがこれからはどんどん増えていきそうな気がします。
何より頭が痛いのは拙寺にある、既に御門徒さんと音信普通となった墓じまいにもされないお墓たち。いわゆる無縁墓・放置墓です。
解消する手立ては残されてはいますが大袈裟にして揉め事にはしたくはありませんからね。
「総代名を使って内容証明を送り付ける」という選択肢を推奨される方がいますがそれでは殆ど喧嘩。
先方のモラルの問題でもありますが、「闘争も仕方なし」「まともに寺と付き合っている門徒衆からすれば不公平このうえなし」とお怒りの御門徒さんもいらっしゃいます。
息子が入る前に重い腰をあげるほかはないのでしょうね。
扨、先日記した「熊が出たぞ~」ニュースのあった旧下山村、豊田市大沼にある等順寺。
こちらのお寺の本多姓の由来は先日のブログの最後に記させていただいた通りです。
元亀二年の武田信玄による三河浸潤により寺より「大沼足助線」(県道362)を足助方向に2㎞ほど行った地の孫根城が落城の憂き目を見ますが城主の本多定之進忠知は逃げ切り出家して寺に入ったのが始まりとのこと。
孫根城訪問には春日神社(場所はこちら)を目指します。
登城口と思われる堀底大手道を思わす道⑥は車ではムリです。
⑥には石積みが見られます。
右手100mほど行った坂を上れば車で神社前まで辿ることができます。まぁどちらにしろ駐車場という気の利いたものはありませんが。
①②は等順寺。春日神社、孫根城の立地は巴川が湾曲し、かつもう1つの河川で囲む台地上。城の位置としては最適の様。
③④の如くイノシシ捕獲器の存在はクマ含む野生の世界がそこにあるということですが最近は野生の世界=マダニの恐怖という感じ。
⑨は鳥居前から等順寺方向を見たところですが私はこの何気ない景色、好みです。
最後の画像がかつての下山村の存在をアピールする石標。
春日神社社殿前にもありました。
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がつお (月曜日, 24 4月 2023 14:59)
このところ(ではないかもしれませんが)都営墓地で無縁墓の整理が進んでいるようです
江戸期の旗本などの墓も撤去対象になっているようで、残念な気持ちになりますね
かといって個人が何かできるわけじゃないのですが
今井一光 (月曜日, 24 4月 2023 20:27)
ありがとうございます。
どちらの墓地でもこの問題で管理者は頭を痛めていますね。
墓石にプレートが掛かっていることなどまたぞろです。
古い石塔好きの人間であっても苦しい台所事情からそうせざるを得ないということは仕方ないかも知れません。
都内となれば土地の値段が高くそれを放置することは機会喪失にもなりますからね。
旗本クラスの墓となれば、敷地も広そうですし撤去すれば「有効利用」というヤツができそう。私設墓域なら撤去更地にしたとしてもペイできるかも知れません。
田舎なら地域の殿様として墓地を移転させてでも管理していこうという声があがるものですが都内は近隣関係は勿論、その地の歴史的関りなど「無関係」を決め込むのでは・・・
中部の田舎から首都圏の寺に入った方が「帰りたい・・・」とその地の人種・発想の違いを嘆いていると聞いたことがあります。
田舎でよかった。