成瀬政直が主眼 松平親氏・泰親・信光三代 信光明寺

昨日も物置(テラス1階)の整理。

主題は刈払機置場の工作でした。

外の車庫にコレを置いておく面倒について解消したいが故の対策で近場に置いて「スグ出動」するためです。

最近は外構の笹を刈りませんので、出動機会といえば静波墓園が主になっています。

尚、笹を伐らないのは、法面保護のため。

先日はどちらかで大木が倒れて人命が失われるという事案がありましたが、もし倒れればタダでは済まないような大樹が拙寺に多数ありますから。

特に法面上部にはたくさん。

 

一昨日は岡崎方面に出向いていましたので秋野氏の来訪には間に合いませんでした。

牧之原市教育委員会の発行する「文芸まきのはら」を持参いただきましたが、その氏の紀行文の中、光栄にも拙ブログについて綴った箇所がありました。

他に小山紙店、大石県議のブログの件についても。

締めの箇所に「たまたまみんな浄土真宗・・・」とありました。

以前、その秋野氏(曹洞宗)に「うちに来ちゃえば ?・・・」と無茶振りしたことがありますが今の住まいは静岡市。お墓は相良の他所の墓地にありますが、考えている事があるのでしょうね。

また墓参も大変でしょう。

 

扨、縁者の墓参といえば私は境内にある代々の墓がありますが、時に小田原の母方の墓地に、稀ですが浜松の藤蔵の墓などにお参りしています。

イランの墓参り事情を聴きましたが毎週木曜日(イランの週末)はお菓子を持って墓参りというのが常とのこと。

週一で亡き家族と時間を過ごすのが当たり前というのがその国のならいというのは驚きでした。

 

「GWどこ行く」の浮れ話が聞こえてくる時節になりましたが、長期休暇は自分の為というのが今の日本人のカタチ。

そこでこのところ先般は小田原行きを模索していましたが、(先日は息子の引っ越しで時間が押していたため菩提寺の前を通過したものの、パス。心残りがありました。)突然、西行き(岡崎)を決めたのでした。

 

その場所は信光明寺。ブログ再掲です。

初代成瀬基久から三代目の成瀬政直(ちなみに藤蔵正義は八代)の墓参を思い立ちました。

何せ信光明寺といえば松平岡崎進出の根拠地、岩津城の麓にありかつ松平親氏・松平泰親・松平信光3代の墓があって松平(徳川)を語るに欠かせない寺ですからね。

 

その三者の墓域、崩壊の美というかその結界の外に密かに佇む相輪が失われて五輪塔残欠が据えられた宝篋印塔がそれ。美形です。

松平三者の墓は造り直されているでしょうからこの墓域では一部の卵塔を除いて最古に近いのでは・・・

その前夜に「こちらに来ないでどうする・・・」とふっと思いついたのでした。勿論お天気はハレの予報でしたからね。

 

人のいのちの微妙と機縁偶然とはそれ、もしその人がその時いなかったとしたら・・・以後の歴史は変わってくる・・・もしかして拙寺も私も無かったのかも・・・などと考えるワケです。

 

私独りて訪れましたが次回は息子を連れてきたいものです。

尤も父親は私にそれを伝えていませんでしたが。

岡崎教務所のついででお気楽ですからね。