平日開催の法事でした。
そうは多くはないのですが、やはり近年社会の休日のありようが変わっていることと、「イザとなれば年休取得でOK !!」と。
土日祭日の混雑を考えれば格段に気楽です。昨日の当地は晴れていたものの午前中は冷たい空気に覆われていて、法要終了後、参拝者から「寒くて凍えた・・・」「辛かった」との声が。
それは申し訳ないことをしたと反省しきり。
「天井が高くて広いから仕方ないよ~」とは仰っていましたが「早く帰りたい」とまで。
拙寺ではその石油ストーブの撤去時期については「だいたい灯油を使い切ってから」が目安になっていますがそれが10日ほど前のこと。
桜が終わって「ストーブってどうよ」という疑問とその継続可否を検討してはいましたが石油在庫が無くなったと同時にシーズンお役御免となっていました。
全てを片づけるのではなく、2台程度は置いておく配慮が必要でした。
来年はそれを生かしていかなくてはならないでしょう。
扨、深溝城の北側の丘沿い、深溝神社から昨日画像の長満寺方向を歩きます。
掲示板の通り深溝城の鬼門封じとして松平忠利が手を加えて整備したとのこと。④は拝殿の瓦の紋、重扇紋拡大。
そちらから少々行ったところに池野家足役御免状の看板が民家の塀から顔を出しています。
こちらの百姓が長沢城(またはこちら こちら こちら)まで守備に向かっていたことがわかります。
統治者として、その「すべて」を拘束するのでは「民」としてもたまったものではないでしょう。
「たくさん働いてくれたから次のこちらは免除しましょう・・・」
飴と鞭を適宜使い分けるところ領国経営の基本ですね。
鞭だけを振るっていては人は付いてきませんし時に爆発します。
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