松平の調略に応じた大庭家家臣兵九 深溝城搦手 

菊川辺りの田には水が張られ、田植えの準備は万端のよう。

既に苗が植えられているものもあるくらいで早々に夏を迎えるような感じ。ひばりの声が賑やかでした。

ただし朝はやたらと冷えてつい体が硬直していましたが・・・

先日、刈払機を持ちながら転倒して体の左側各所をスリむいたのでしたが、それだけで収まらず案外と筋肉や骨にも違和感が出ている現状。

特に靴を履いたり脱いだりする際にヨタヨタして危なっかしい。

 

今やるべきことがたくさんある中、ケヤキと槙の大木のそれぞれの枯れ枝を除去するという仕事がありますが、しばらく踏ん切りがつきません。

この数年での膝・肘等関節系の痛みの増加は何をするにおいても気力を奪っています。ただしハカ・テラ・シロ歩きは除いて。

 

扨、昨日の深溝城

遺構は殆ど感じられませんが城の北側には小さな川が流れその城郭側(南側)の畑地は周囲より約1.5mほど高くなっていることがわかります。

そちらが深溝城の搦手にあたるようです。

看板の通り城主大庭次郎左衛門の家臣「兵九」(ひょうく)の屋敷があったことから「兵九下」という地名となっているとのこと。

兵九は松平方の調略に内応、城主を裏切り搦手から兵を引き入れたことが推測できます。

調略・裏切りは戦国の世のみにあらず、人と人との関りの中では「つきもの」の如し。

裏切られる事が自らの死と家の滅亡を意味することですから、人を信じることの難しさと相手にも自身を信じてもらうことの大事を思います。

 

昨日は城を囲む丘陵に挟まれるようにある平城深溝城の地形について記しましたが三光院の丘の城を挟んで向かいになる丘にはその大庭氏の菩提寺長満寺④⑤があります。

⑥は搦手段上に上がって本郭方向を見たところ。