朝までに雨はバッチリあがって法要日和。
関西そして東京方面からのご参集。
風は少々強くて八重桜や当地諸所に咲く藤を散らしまくっていましたが・・・
本堂法要後はこれまで遠慮させていだいていたお斎にも呼ばれてしばし歓談タイム。
その後一旦散会し、ご家族だけで墓参に向かうという変則スケジュールでした。
御家家系には東大を卒業されて「私の未知なる世界」にてご活躍中の方がいらっしゃいますが(超多忙で法要に不参加)その方の話題で花が咲きました。
縁者のメールを拝見させていただきましたが「いずれ大澤寺に墓参に行きたい」旨記されていたことは嬉しきこと。
その方が東大に入学して、1年ほど家庭教師として教わったという方が、問題を解く間、ご自身は傍らで仏語を英訳していたそうですが、半年後は独語を仏語にして記していたそう。まったく伝説的な方・・・
その方の先輩が後から聞いたという件「東大でも10年に一度出るかどうかの天才」と。
聞けば聞くほど超絶スゴイ・・・の一言ですが、かなり以前私は東京で行われたその方の施主となる法事のあと、お斎の前に歌舞伎町のバッティングセンターに連れられて楽しんだことがあります。
私の様からしてその選択を思いつき提案してくれたのでしょうが、その方の「機転」とそれまでの観念にとらわれない姿、大いに敬うべきを思ったのでした。
そちらでは着替えさせていただいてからバットを振り回したことは勿論のことです。
多くの「超絶」を耳にして驚かされるばかり、楽しくも私の未知と無知の時間をすごさせていただきました。
扨、深溝について記していましたがやはり深溝城。
深い溝にある城?のイメージですがやはり周囲丘陵に囲まれた地であるにも関わらずドが付くほどの平城の感。
文献には「不高須」なる名称も見られてやはり「高須」(堆積によって比高がある場所)ではないという地形を表現しています。
城の歴史は②の掲示板を見ていただければと思いますが現地は民地となり削平されて城塞の遺構は感じられません。
石標の存在は有難いことですがそれが平城の運命であるから仕方がないところです(場所はこちら)。
むしろ松平忠定夫人が建立したといわれる浄土宗の三光院辺りの方が単独丘となっていて「城をつくるならこっちだろ・・・」などなど感じさせられました。
⑦⑧は幸田郷土資料館にあるジオラマですが現地ではそれほどの段丘状は感じられませんでした。
城郭大系から 深溝城
額田郡幸田町大字深溝
大場次郎左衛門が室町中期に築城。のちに深溝松平氏・板倉重昌の居城。西南に堀跡が僅かに残る。
コメントをお書きください
野村庄右衞門幸正 (月曜日, 17 4月 2023 18:53)
その超絶の方は昔の相良郵便局の関係者の子孫ですか?かつて多方面からルーツを調べていたところ、その超絶の方の名前が登場し頭の片隅にずっとありました。そしたら今回のニュースで知り、どこかで見たことある名前だなと思い書き記した資料を開くと同じ名前が!私にとっては無縁な方ですが、私の親戚にとっては血縁関係。びっくりです。
その昔、大岡越前で名を馳せた方も私にとっては無縁ですが私の親戚にとっては血縁関係。
私は誰とも関係ありません(笑)
的外れの内容でしたらご容赦ください。
今井一光 (月曜日, 17 4月 2023 20:03)
ありがとうございます。
どこのどちら様とはこちらでは記せませんが、その方の超絶なところは「勉強する」
という意図がなく、いわば「す~っと」いう具合にものごとの構図が頭の中に自然に入ってしまうというかあり得ない明晰頭脳を持っているということでしょうか。