昨日の息子の義母独居生活へ押し入っての居候の件、いわゆるWIN×2の関係であると思われがちですが現実はそう簡単にいかない問題が惹起します。
それは祖母-孫の関係、孫が27歳ともなるとスンナリと温和な生活は望めないよう。
双方から「まぁ、もっともである・・・」といえる内情が奥方に寄せられていましたが1か月の同居(シェア)で双方の限界が露呈したということ。
祖母はこの間まで口がきけない赤ん坊だった彼があれこれと指図してくるのは如何にも腹立たしいことであり、息子からすれば以前とは違っている祖母の色々(特に食品の取り扱い、調理の味つけについて)―それは30年弱の年月を経ていますので当然といえば当然―
が今の自分の生活とかけ離れていること以外何物でもないようです。
奥方が言っていました。
奥方の祖母(義母の母)の時と同じだと。
孫とはいえ「ただの小僧」が、近頃つべこべと自分の生活について指図するなど許容できず苛立つものの、老化には抗えないというところ。そしてやはり祖母さんは食べ物の管理が疎くなったそう。
仕舞には冷蔵庫に下着が入っていたことなどもあったとも。
そして独り暮らしとなった親の家に行ったらまず冷蔵庫をチェックすることが第一義とその経験者は語っていました。
その中には恐ろし気な在庫の数々が発掘できるといいます。
そしてそれは「私の辿る道」であるとも。
ヤバそうな品々は「捨てておいたからね」の一言でこっそりと廃棄してあげるのも肝要か。ゴチャゴチャ言わずに・・・
義母は義母で息子が飲んだ飲料のペットボトルの山を捨てるのもかなりイラつく種とも言っていました。
奥方は「孫じゃん・・・あと少し我慢してやってくれよ…」と宥めていました。「孫対婆」の関係、結構難し。
親族間でもこの様ですからね。人種・宗教の違いで揉めまくっているこの世界、ある意味わかるような気が。
扨、昨日記した鈴木正三と心月院。
本来あったその場所は鈴木正三史跡公園となっています。
如何に鈴木正三が此の地のヒーローなのか・・・その銅像が私を迎えてくれました。
①は則定城を②則定町集会所から見た図です。
車はそちらの駐車場に置いてから鈴木正三記念館(開いていませんでした)の前④の看板の先を左に上がっていくと⑤則定小学校のグラウンドが。その辺りが屋敷址ともいわれていますがその上段が心月院跡に熊埜神社。
磐座に「葵紋が・・・」とありましたが目を凝らして探しましたが発見は不可でした(場所はこちら)。
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