巴川と則定川の合流点 電力会社点検用橋 小畑城

うって変わって雨混じりの肌寒い一日。

午後は史跡研究会の会合、夜間はメディテーション。

どちらもおしゃべりに花が咲いて、喉に少々不安が。

私が風邪をひくときは必ず喉の違和感から始まりますので要注意です。

その前の晩は暑くてうんざりさせられましたが、同様にネックウォーマーを巻いて休むことにします。

あとひと月程度はそれを離せないでしょうね。

 

史跡研究会の会合では、次回「文芸牧之原」に小澤会長の新説「家康御殿」の記述について。

日光東照宮所有の狩野派の重要文化財、絵図を題材に「相良御殿で遊ぶ家康」論を展開しようという試みです。

 

そこで出てきたのが静岡市博物館の立ち位置。

入館者目標が早くも未達予想となって赤字は間違いないということが巷での噂。

年間30億円の赤字が出るとして、駅前葵タワーの美術館もまたその程度の「赤」ということ。

葵タワーのそれをそのまま市立博物館に持って来れば「30億円の赤で済むのでは」と仰っていました。

太っ腹な経済観念というか他人の財布をあてにしてのそのハコものの建造だったのかよく知りませんが、ハナから無用な物を「作った感」は否めないよう。

葵の方は「市の公民館にでもすれば・・・」とも。

維持経費の出どころが違ってくれば大衆をゴマ化せるのかも。

 

その重要文化財について話が出ましたが、そもそもあの新設の「ハコ」にはそれら国宝クラスの展示は「不可」の作りだといいます。

照明、空調、防火、防犯のシステムがそれらの保管に適していないということで。

要は先日も記しましたが模造品・コピーそしてたまたま出てきた「道路」そしてトイレ休憩で勝負していこうというものだということ。

博物館・美術館は企画ものと常設展示の二刀流で集客していくというのが常ですが、ロクな目玉もないのに「とにかくハコを」の感覚で大枚をブチ込んだというところ、そのように見えました。

どうせやるなら国宝クラスの展示ができるようにしてくれればよかったのに・・・

 

扨、昨日記した巴川に則定川が合流するポイント(「鯱の背びれ」の如く石がある)、両河川の交錯する川向の比較的低い山に「小畑城」なる城があります。

その名は「三河国二葉之松 三州古城紀 賀茂郡」に見当たりませんが、則定村には三つの城郭の存在があって1 則定村古城

則定村古屋敷   3 則定村古屋敷 とあります。

2 の則定村古屋敷は椎城(椎木ト云所鈴木十内)とあり1 が城主鈴木三郎九郎子孫当代領千石鈴木友之助で1 2 ともに同族系。

そして隣接した山系にあります。

 

そして3 が松平縫殿助子孫領三千石とありましたので、おそらく二葉之松の記す 3 がこの小畑城なのか・・・

 

小畑城は現場で地図ソフトを拡大した際にたまたま見つけて急きょ探索に上がったのでした。

あの時は街道北側の上記 1 と 2 を散策したあと、街道上に舞い戻って覗いてみようとなったわけですが上記最後の画像がその図。私は車を停めてストレートにその登攀路を求めましたが則定川に隔てられ渡河は不可。

そこでその合流地点に電力会社の点検用橋脚を見つけそちらに駐車(駐車スペースあり)して上りました。

 

橋を渡って右側の斜面に取り付くという強者もヨシですが私は巴川を左手に見ながら約30m、④のコンクリ舗装が終わった辺りに右の斜面⑤を「勘」だけで上がりました。なぜならそちらをピークに正面は下り坂となっているからです。

疑心暗鬼で上がっていけば間もなく左方に巨石が見えてきますので「だいたい当たりか・・・」などと不安が確信に変わりつつある頃その石の間(城門跡の推測)を進めばスグに郭らしき削平地にあたりました。

 

ただ何の気なしに山を上がり、こういった看板と出くわすのは気持ちいいものです。大当たりの感触。

削平地は下草のないスギ林になっていますが、右手には明らかに土塁を思わす盛土が見え途中かぎ型を描く土塁形状が特筆的です。

土塁の下は切岸状になっていて段状に削平されているように見えました。途中、行き帰りのあのキツイ斜面がありますが、それさえクリアできれば何てことはない城、屋敷址に感じます。

 

ただしトップに行きつくまで案内板等一切ナシ。

河川に囲まれている場所で完全に獣たち、人以外の生物の領域に入ることになりますから、それらへの注意は勿論、迷子に転落転倒にお気をつけてチャレンジください(場所はこちら)。

当然の如くそちらへの到達について私は責任は負えません。

またこちらが松平縫殿助の屋敷跡だったのかは不詳。